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育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

結婚とは何か?を考える

義両親と同居して、ふと気がついたことがある。

今まで夫と結婚してから結婚したことの窮屈さとか感じたことなどなかった。

 

私は夫とルームシェアをしていたんだろうなということ。彼と私は同じように生活リズムが破綻している。だいたい朝方まで起きてるし、朝は起きられない。2,3日家に帰ってこないことに対しても抵抗感がない。基本的にはお互いテレビ業界にいるので、しょうがないのだが、ともかく、お互いがお互いに、自分のペースで生きている。家族の時間というやつがほぼ皆無だった。

だが、両親と同居して「朝ごはんは食べなさい」という圧や「お風呂はご飯を食べたらすぐ入りなさい」という圧が発生している。

家族のリズムというものを考えるとそれは正しいことなのだが、私達夫婦は、そういうリズムが特になかった。

別にいいかなと思っていた。

寝坊をした夫を見た母が「起こしてあげてね」と私に言う。私も気がつけば起こすが、別に、あなたが気にすることじゃないんじゃないですか、と思う。親心はもちろん分かるが、そんなもの自己管理すればいいだけの話だ。

ああ、これが家庭をもつことか、と思った。

家族とは、リズムがある。ルールがある。

私達2人で暮らしているときはお互いのリズムには干渉しないという不文律のルールがあった。だが、家族が増えるとそうも行かない。同じ家にバラバラの生活リズムをもった人が暮らすには、やはりある程度の規律が必要なのだろう。

たぶん、結婚ってこういうことを言うのだろう。正直、私は結婚に向かない人間なんだろうなと思う。義両親はかなり寛容な人で、嫁、として何科を求められるということはない。心から感謝しているけど、やはり、他人の生活リズムに巻き込まれるのは、正直うざったいし、息苦しい。私が自由人すぎるのだ。

 

ただ、夫も両親も妻としての性役割を私には決して求めてこない。した方がいい、など言われたり、してほしいのだろうなと思うことはあるが、強要はしてこないのだ。優しさと、申し訳無さで腸がねじれてブチ切れそうだけど、結婚とは、たぶんそういうものなのだろう。だからこそ、結婚は息苦しいし、皆疲れてしまうのだと思う。

 

 

 

記者だって悩むし病むのだよ

余談 ジャーナリズム

マスゴミ批判はとても耳が痛い。

実際、自分の周りにも「そのネタを取材したくせに、1冊の本も読んでいないの?我々の仕事は誰かを傷つける凶器になりえるのに…」と呆れてしまう人はいる。

だが、今日は、弱音を吐きたい。

記者だって人間だし、誰かを傷つける覚悟、自分にその刃が向くかもしれないという恐怖の中記事を書いたり、番組を作ることがある。
被写体にとって記者は、最初の視聴者だ。そして、通常ならば一方的に文句を言われるだけの視聴者だが、記者は文句を言ってもいい視聴者だ。しかも、「もうこんな取材受けるか!」と罵声を浴びせてもいい対象だ。

それでも、記者は、己の中の正義のためにその罵声に耐え忍ぶ。そんな言葉の暴力、時にガチの暴力をされる相手でも、一度取材をさせて頂ければ全力で守らなくてはならない対象だ。

なぜならば、被写体にとって、その暴力は、記者そのものに向けられるものではなく、記者を通した世間に向けられたものだからだ。その被写体の怒りをそのまま世間にぶつければ、世間はただただ反発するだろう。そんなことのために、被写体を危険にさらす訳にはいかない。

被写体に攻撃されながらも、被写体を守りながら、被写体の痛みを伝え、社会に問題提起をする。それが記者の姿だと思う。

正直、しんどい。正直敵だらけだ。被写体と同じように世間を憎むし、世間に言葉が届かない苛立ちも覚える。だけど、被写体は私に寄り添ってはくれないのだ。もちろん、それでいい。媒体に寄り添わなくてもいい。記者は、被写体を使って自分と被写体と同じ部分の怒りや疑問を社会にぶつける卑怯者なのだから、理解してもらわなくても、得るものは十二分にあるのだから。

だけど、その意思決定の度に、被写体に迷惑をかけていないか、被写体を傷つけないか、視聴者に届くか、真実を捻じ曲げていないか、独りよがりになっていないか、繰り返し繰り返し内省が続く。

それは絶対に逃れられないし、それができないなら、ドキュメンタリーなんて作っちゃいけない。真実は一つじゃないし、視点によって物事は形を変える。その複雑さを、シンプルな形に切り取り、伝えるのが記者の仕事なのだから。

 

まあ、そんなことやっているから量産ができないんですけど。

世間の記者に対する不信感に触れると、心が折れそうになる。頭では、そうやって疑われて、疎まれるのがこの仕事なのだとわかっているけれども…やっぱり、疎外感と孤独感、そして恐怖で、動けなくなってしまいそうになるな…。

もうすぐ高齢出産

コミュニケーション 体のこと 妊活 子作り 子育て 家族 身体のこと

最近、いや、最近に始まったことじゃないんだけど、

私ももう34歳か…早いもんだな―

としみじみ思う33歳。だいたい年齢を間違える。

 

1歳くらいしか間違えないから誤差の範囲だとは思う。だけど、もうすぐ高齢出産である。

妊娠は10ヶ月もするから、本当にもうすぐ高齢出産だ。

セックスの回数は増えず、排卵日か!?と思うタイミングでセックスしても、妊娠する気配すらない。

焦る気持ちがない、と言ったら大嘘なのだが、だからといって、ほしいのか?と問われると今のこの生活が嫌ってわけでもない。

子どもを欲しい気持ちと、このままでもいいやとも思う気持ち。ブランブランと揺れ動く。それは結婚したいか?という自問自答を繰り返した20代後半とよく似ている。

あの時は、まだ子どもをリアリティを持って諦めることはできなかったが、今は諦めることも覚悟しなくてはいけないと日々思う。

まだ33歳で何言ってる!といわれてしまうかもしれない。でも、タイムリミットは刻一刻と迫っているわけで。

 

最近結構本気で思うのは、私の子どもじゃなくていいから、子どもを育てたい、ということ。特別養子縁組、という、責任も全部自分で追ってフルコミットしたいということではなく、生活の一部に、子どもがいてほしい。

「○○ちゃんのために、今日も仕事がんばろう!」とか、「○○ちゃんと今日ねんねしよ〜」とかそんなん。孫とか姪っ子とか。近所の子でもいい。

 

人間には子育てが必要なのだと思う。チワワやトイプードルを赤ちゃんのように抱っこするおばあちゃんを見て、子どもがどれだけ大人の心を癒やしてくれているのかを感じる。

子どもを産まないと、子どもがいる社会で生きられない。だけど、もう少し、独身や、子無し夫婦にも子どもの負担が来るシステムがないかなーと思う。

 

子どもができない焦燥感と、虚しさは子どもと接する世界とのリーチを完全に立たれてしまうという恐怖からなのかもしれない。

(※特別養子縁組が嫌だということではなく、特別養子縁組も実はけっこう視野には入っているんだよね。ただ、あれは、正直相当覚悟がいるんじゃないかなと思う。少なからず、今の私は、出産という「できちゃったもんはしょうがないよね〜」的な言い訳ができる環境でもないと、子どもを育てるという重責に耐えられないんじゃないかなーと思う)

イライラする

最近仕事の中で私は女なので…的なことを言わなきゃいけないことが多くてイライラする。

私が自分を女だといったら私は完全にどこからどう見ても女である。

女として見られる。自ら女を主張しなくてはならない。なんで私がこんな屈辱を受けなくてはならないのだろうか。周りから見れば全く矛盾がなく、たぶん言葉にしたところで誰もわかってもくれないし、わかったふりがされるのも虫唾が走る。理不尽な現状にただただ苛立ちが募る。

 

私はたぶん、トランスジェンダーだ。だが、手術をするつもりもなければ、トランスジェンダーアイデンティティがあるわけでもなく、名乗ろうという意識もない。

それはたぶん、同族嫌悪そのものなのだとは思う。

手術をしないトランスジェンダーは女のくせに女じゃないとか、意味が分からないし見苦しい。

そして手術をしたトランスジェンダーは羨ましさとともに、ああいう人がいるからトランスジェンダーは手術をしないと認められないと僻む。

 

潜在的なゲイほど強いホモフォビアだったりするのと同じではないか。

男装が出来る勇気もない、名前を変えたいという勇気もない。性自認と性が一致しないという事実さえ言葉に容易に出せない。そもそもそれが事実なのかも分からない。ただのミソジニーの可能性だって十分ある。

 

誰かを攻撃したいわけじゃない、トランスジェンダーの存在を否定したいわけでもない。だけどやはりトランスジェンダーなんて存在しないという感覚もある。この体に生まれてしまったことが、矛盾が呪わしい。

人権がないこの国の象徴は本当に我々を象徴している

余談 働く事

天皇生前退位の報道を見ると、

え、あのおじいちゃん(天皇)の意思はなんで無視なの?と不思議に思う。

この国では生まれに関わらず職業選択の自由があるはずだが、この国の象徴に関してはその自由は一切ない。

皇室に生まれてしまったら、死ぬまで皇室としての義務を果たさなければならない。しかも歴然とその責任を負わされるの男だけ。

有識者たちからは(テレビ報道だけかもしれないが)不思議と天皇陛下の人権の話はしない。伝統が、とか、ふさわしいとかやんわりふんわりした議論ばかり。

いやいや、職業・日本の象徴には職業選択の自由の自由も退職もないのかよ。

天皇陛下の人間としての尊重よりも、役割を全うすることが正義なのだ。

この国では労働者たちの権利は踏みにじられて当然だ。象徴となる尊ぶべき人の人権すら無きものとして扱われているのだから。

 

 

 

あるデジタルネイティブの走りの思い出話

余談 コミュニケーション 子育て

現代のストーカーについて論評されたある本のはしがきが、現代はメールをはじめ、ラインやfacebookなど繋がるツールが爆発的に増加しているという書き出しだった。

私はとっさに

は?何いってんだよメールもラインも似たようなもんだし、爆発的に多様になってねぇじゃんと思った。

が、そこではたと思い返したのた。たぶん、これを書いた人の学生時代にはケータイとかネットがなかったんじゃないか?と。

 

以前取材した人にネットで出会った人と付き合っている10代の女の子がいた。その子は学校の男友達や、ネットで知り合った人にセクハラまがいをされ、一時男不信になったそうだ。そんな話を、30代後半から40代前半くらいの同業者と映像を見ながら話していると

「自分の子供がネットとどう付き合うかとか、どうしていいかわかんないですよね」と不安を吐露した。私はそれにたいし、

「うーん。でも、自分が子供の頃やったみたいにすればいいのかなーとは思いますし、私ビビリだから怖い思いもしなかったけど、その子の感受性いかんではヤバいところまで行きますもんね。親としてはやきもきしますよね…」と答えると、同業者は驚いたように私を見て「え、10代のころネットあったの?」と驚かれた。

その同業者とはたぶん私と10歳も変わらない。だが、ネットへの見方はどうやら大きく異なるようだった。

 

80年代生まれの私はデジタルネイティブのはしりだ。高校生の頃からコミュニケーションツールとしてネットに触れていた。もちろん、今の10代のようにネットが完全に物心つく前から身近にあったわけではないが、地域コミュニティ以外の人間とのやりとりが始まるのは10代前半、その頃にはじわじわと生活の一部にネットが浸透しており、タイピングや、ネット検索の仕方は学校で習った記憶がある。そのせいか、ネットなしで、誰かとコミュニティをとっていた記憶がかなり曖昧である。

友達との待ち合わせはメールで決めて、到着場所もいなかったら即電話orメール。

オタク活動の一環でホームページを作ったり、(ロリポップで安いドメインを取得しようと思ったが親バレがいやで無料のジオシティーズを結局使ったり)タイピングの練習で、朝方まで知らない人とチャットをしていた。(当時は通信料の都合で、22時以降じゃないとネットはやればやるほど金がかかった)

初めてできた恋人とのやりとりはケータイメールでのやりとり、ケータイでの通話、長電話の時はmsnのメッセンジャーでのメッセージチャット、スカイプの音声チャットを使って通話をしていた。

SNS(しかも当時は匿名が当たり前だったし)の概念にしっかり触れるようになったのは大学生からだったが、多感な学齢期には今のネットとの付き合い方のほぼ原型を学習していた。

 

書いてて思い出したが、サークルの同級生10人となぜか合同のケータイブログをやっていて、ぐちったり、就活報告したり、ネタあげたりしてた。クローズドでもなかったそのサイト。

メンバーの一人が会社の愚痴書いてるの上司にバレて、削除されてた。

今は彼らとはライングループ作っているが、飲み会や結婚報告くらいしか呟かれない。

若者のライングループやツイッターの合同アカみたいことわたしもやってたやないかと思い出して、愕然とした。若者よ、恋人ツイッターアカとかバカにしてごめん。

 

その本や上の世代のリアクションを見ると、ネットがない時代、人とどうやってコミュニケーションをとっていたのだろう?と不思議になる。同人活動サークル活動、はネットがなくてもどんなふうにやればいいかは想像できるのだが…(いや、だがメールもない時代どうやって打合せをしていたんだ?親バレしまくりやないか?)

 

ちなみに私は同人活動で知り合った京都の女性と長年文通していた。きっかけは、同人雑誌の文通友達募集だったような気がする。

今同人界ではどうなのだろうか?どんなペンでどんな便箋で送るか?そんなことを考えるとなかなか面白いものだった。

あ、海外のpen palとは、もっぱらメールだったが、それはそれでクソ楽しかったから、まぁ、紙でやりとりする必要なんてないのかも。

 

 

あれ、なにいいたかったんだっけ?デジタルネイティブの走りの思い出話に終始したが、ネットってのは人間コミュニケーションの仕方にきっと巨大なインパクトを与えたのだろうなーということ。でもきっと本質は変わってないとは思うのだけども。結局大量の人と交流できても、記憶に残る人なんて一握りだし。

 

 

 

足るを知る

働く事

ふと、20代後半の私は、足るを知るの意味を履き違えていたなと思った。

もちろん、20代後半にやっとその言葉を知り、感銘を受けた。

足るを知るとは…

人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるということ。
老子』に「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り(満足することを知っている者は富者であり、努力している者は志ある者であると言える)」とあるのに基づく。

足るを知る者は富む - 故事ことわざ辞典

憧れを持ってやってきた東京生活、しかし、24時間休みなく動く街、金が無いと休憩もできないこの町のしくみ、そのために働き続けなければいけない生き様に疲れはて、もうすでに、田舎暮らしに絶望していた私は、生きることに限界を感じていた。そんな時、想像を絶するど田舎で、自給自足のような暮らしをしているおじさんから聞いたその言葉は、私の脳髄をハンマーでぶん殴るくらいの衝撃があった。

私も、このおっさんのように、田舎で、くらしたい、東京のくらしを全部捨てて、田舎に。

私はその時、足るを知る、というのは物欲を見限ると理解していた。それはそれで間違ってはいない。だが、本当の足るを知る、というのは、己の限界を知るということでもあるように思う。

 

私はおっさんや、おっさん周りの田舎の資源を面白がる少し年上のお兄さんたちに憧れた。彼らのように、自由に、東京と田舎を行き来したい。田舎の資源を自分の収益に変えたい。新しい幸福を手に入れたい。

それは、全然足るを知るではなかった。物理的に最新の工業製品を欲しがらないことがことが足るを知るではない。

「ここでよい」「これでよい」と現状に満足し、現状ある材料の中で勝負ができることだ。私は全く足るを知ってなどいなかった。

「片田舎はだめ」と東京を目指し「東京はだめ」とど田舎を目指し…終わりのない理想郷をずっと求めていた。

テレビで見聞きし、衝撃を受けたことがある。諦めるとは、明らかにすることが転じてうまれた、という。(一休さんあたりの時代の)仏教の世界では、諦めるは、良い言葉だそうだ。(ソースがあいまいなので、正確ではない)

それもまた私の心に突き刺さった。諦めることイコール悪だった。諦めたらそこで試合終了ですよ、とアラサーだったら誰でも知っている安西先生の名言は心の中で何回反芻したかわかったもんじゃない。

「私たちは、がむしゃらに、ゴール目指して食らいついていかなくてはいけない」と思っていた。

諦めないことは確かに重要で、努力も大切だ。江戸期の仏教は庶民に努力を推奨していたはずだ。

大切なのは無軌道にがむしゃらファイトすることじゃない。

今あるものを大切に、己自身の足るを知り、己の中にある資源を大切に、その可能性を模索することだと、最近はやっと思えるようになってきた。

東京にしか居場所がない自分を否定しない、自分ができることをちゃんと見つめる、他人や場所に左右されるのではなく、自分がやりたいこと、やれることとちゃんと向き合う。

もちろん、今も気がついたら、無軌道に、「やらなきゃ」と焦燥感に追い立てられてしうことがあるだろう。だけど、なるべく、己の心の声に耳を傾けて、己の足るを、己の資源と向き合って生きていこう。

 

他力本願に、地方に逃げようとしていた自分の若気の至りを振り返って今思うこと。