大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

うまい飯屋とデートスポットは別物。

ツイッターで男のデートの話題が上がっているを見て思ったことがある。

読書くん on Twitter: "ファミレスとファストフード以外に外食店の選択肢がない男性はそれなりの割合いるので、その手の人とデートする時は女性の方からお洒落な店を提案するのも一案だとおもう"

マジでこれだよなぁと。

恋人に食を求めてどないすんねんとおもう。

そもそも、うまいレストラン、しかも値ごろ感がいい店、デートにおあつらえ向きな店を知っている、というのは、並みの財力と経験では得られない。

若かりし頃、上司など、毎晩飲み歩いている人と(会社の経費で)、よく飯を食べに行っていた。そのころ、思っていたのは飯屋を知っている人は物凄くマメ、ということだ。

上司の年代のせいもあるが、彼らはうまい店メモ作っていた。そこに、料理の種類や、エリア、価格帯、営業時間など、情報がかなり整理されていた。

だいたい飯を食べに行くなんて時は深夜に及ぶので、都内で12時前後空いてるうまい飯屋を探すとき、御仁はメモ帳片手に営業時間をチェックしながら目星をつけていた。

(ちなみに飲み歩いていた当時、私は20代だったが、愛人だったわけではない。マジに食に愛着が強い人は、女よりも飯への愛着が強いので、どんなに深夜に及んでも貞操の危機を感じたことはないし、彼らは主に飯の話しかしない)

 

私も彼らに真似してアーカイブスを作ったものだが、マメさと経済力、あと酒が飲めないという致命的な欠点のため、1人夜飯のハードルが高く、挫折した。

そんなガチ飯好きの人たちと外食ばかりしていたためか、恋人にはうまい飯屋を求めることはなかった。付き合う男は皆、飯屋の選択のセンスが悪い人ばかり。 

 

大学の後輩は金も知識もなかったし、40代の男性も、そこはないな、と思う店がうまいといい、夫も基本チェーン店しか知らなかった。

ちなみに、そこはないな、とは思っても味覚音痴とは思わない。うまい・まずい、快不快はその人の人生経験に根ざしたものだ。頭ごなしに否定はできないし、私のうまいをまずいと思う人もいる。パクチーが口に合う合わない人がいるのと同じだ。私はアジア系の料理が比較的得意なのだが、それは私が東アジア料理に触れる機会が多く、外国の味覚への寛容度が高いからこそだ。逆に東北や北関東の味覚に触れる機会が少なかったために、そのエリアの味付けはなじみが薄く、うまいと思うこともなかなかない。

 

どこの店をうまいと感じるかその人が生きてきた人生そのものでもあり、肯定も否定もするべきものでもない。店屋の選択を基準に、人の良し悪しは決まらないからこそ、別にどんな店に案内されても気にならないというのはある。

 

そもそも恋人に私は一緒にいて居心地の良さや、見た目の良さ、会話のテンポの良さを求める。飯屋の選ぶセンスなんて、別にあってもなくてもいい。

 

恋人に店屋の選定を丸投げする方がおかしい。飯屋の好みのタイプをきいてばちこんの店を選べるなんて男はマジで遊んでないとできないし、そんな男と対等に付き合えるのは、丸投げせずに語り合える知識のある人ではないだろうか。

 

私のように、うまい飯屋には行きたいが己で開拓するほどの冒険心も、財力も、几帳面さもない人は、男に飯屋をもとめてはいけないと思う。

 

ただ、やはり、うまい飯屋に行ける友は欲しいなと思う。

いい店、というのは、私のような下戸の女が1人で行くにはハードルが高い。(漠然とだが、うまい飯屋において女の客人は男が連れてくるもの、という暗黙のルールがある気がして、気がひける)さらに、服装も雑な格好(カジュアル)では足を踏み入れづらい。もっといえば、女性は食事の時の立ち振る舞いが店の人にとっても、最も大切なマナーだろう。粗雑な私にはその意味でも大いなるハードルがある。

たぶん、財力の余力のない男にとっても、敷居は高いだろう。だからこそ、金もない若い男にうまい飯屋なんて期待しちゃいけないのだ。

書いてて気がついたが、飯屋は圧倒的に男社会なのだなぁ。(気軽に入れるうまい店屋ももちろんあるが、うまい店屋はやっぱり独特の暗黙のルールがあるように感じる)

 

でも、また、うまい飯屋でも、開拓してみようかなぁ。

解決した

義母への、社会からの女への不満をぶちまけたが、話し合いの末、解決。話し合いができる家族であることは、私にとって、最上級の幸福だ。共に歩んで行きたいと思える人たちだ。

正直、売り言葉に買い言葉、母も、どこかにどこまで息子夫婦の生活に手を出すべきかの迷いや、私のつれない態度から、不安があり、自分の努力は間違っていないのだという、確信や後ろ盾が欲しくて、世間、常識を後ろ盾にした言葉を使ったのではないだろうか。

ただの売り言葉に買い言葉で、息子の世話をあなたが見ない、と言っただけな気がする。そんなことたぶん、思っていないんじゃないか、のちの話し合いでは、そう感じた。

私の肥大化した被害妄想と、母の言葉に出さず、先読みしすぎる優しさと習慣がこじれさせていたのだと思う。なんにせよ、阿吽の呼吸など、ありえない、思いは口に出さなければ伝わらない。ただこじれるだけだ。言葉に出すのは勇気がいることだし、相手へのは信頼がないとできないことかもしれない。

それを改めて肝に銘じたい。

 

世間ではない、自分の言葉で相手に話しかける、自分の経験を下地に相手と対峙する。常に足を地につけて。それを意識して。

離婚の危機を乗り越えながら

最近、離婚の危機が起こっている。

いや、離婚はしないが、離婚しようかな、とは思った。

夫が嫌いなわけじゃない。むしろ大切なパートナーと思っている。が、義母にひょんなことから、洗濯とか、ゴミとか、部屋に勝手に入っていじるのやめてくださいとやんわり伝えたら、

「あなたは遊んでばかりで充分にあの子の面倒を見てくれない。でも、嫁が・・・なんてグチグチ言うようなことは言わない。だから私があなたに変わってあの子の面倒を見るの。ここまで譲歩しているのに、それさえ許してくれないなんて、ひどい」

と泣きながら抗議された。

 

私は、

「ああ、ようは、私の全てが気に入らないんだな。私には本当に興味がないのに、我慢してやってるから、プライバシーを侵害されても文句をいう資格すらないのだな」と理解した。

まあ、母からしたら、ご飯の支度もしない嫁なんて、ありえないだろう。義母は、働きながら家事全般をやってきた人だから、彼女の生きた世界では、私の面の皮は水族館のガラスばりに分厚いだろう。

 

それから3日ほど、家を開けた。会社でこっそり寝泊まり。仕事関係の人が見ていない場では、ずっと泣いていた。なぜかな。たぶん、わかっていたのに、気がつかないふりをしていた自分の甘さと、同居人に全否定されていたということ、もうあの家に居場所はないと確信してしまったこと、だろうか。

 

夫とは、色々話をして、家を出ないことにはした。夫のことは心から信頼しているし、最高のパートナーだと感じている。(今回話をする中で、改めて、これ以上の人はいないと思えた)

だが、もう、あの家を家だと思うことはもうやめた。それが正解か?間違いか?はわからないが、全否定されたことを受け入れろ、というのは、私があまりにも可哀想だ。

せめてものレジスタンスとして、夫が家にいないときは家に帰らない。そして私は仕事を頑張ろうと思う。

仕事はレジスタンスとしてだけでなく、義母が望む息子の世話を、私ができるとしたら、彼がもっと気楽に働けるように、私の年収を増やす。そのために、しゃかりきに働く。それが、彼にとって、きっと最大級で、今の私でもなんとかできる唯一の夫への支え方だと思う。

夫婦か子供か 不妊治療③

思うことがあって、不妊治療を一旦やめることにした。思うこと、というのは、将来への不安だ。経済的な不安ではない。子供が生まれた時、私たちの家庭は父親不在になるだろうという不安。

 

夫は家庭的なタイプではないが、家事はそれなりに努力してくれるタイプだ。だが、いかんせん家にいる時間が短すぎる。家にいるのは週のうち3日ほど。しかも、その3日も早くて20時、遅くて25時。ほとんど家にいない。休みも1.2週間に1日ある程度だ。

テレビ業界人に限って言えば、まぁまぁ、休めてるね、という感じではある。基本的にテレビ業界の人は家庭を顧みない。

 

その生活は体力的にはきついのだが、充実したものでは間違いなくある。誰かに必要とされて、限界まで出し切る。過労死リスクは極めて高いが、それでも、本人が納得しているのであれば、決して悪い人生ではない。

それを理解しているつもりだ。私自身も体力がないのでブレーキをかけているが、忙しくなると、徹夜もざら、休みは月一度無理やりとる、家事は最低限度、みたいな感じにはなる。その時は夫は静かにフォローに回る。お互いさまだ。

 

それでも、そんな夫婦共に家庭を顧みない生活で破綻しないのは、家に何もないからだ。

子供ができたら、私はたぶん、仕事に相当なブレーキをかけざる得ないだろう。

そして夫は不在だろう。家に帰って来ても、ゲームや動画を死んだ魚の眼をして眺めてはそのまま寝落ちする。

その隣で私が育児や家事に追われていても彼は気がつく気力も手を差し伸べる体力もなく寝落ちする。今でさえ、彼は休みの日でもなければ洗濯さえする余力がない。

 

私からすれば正直かなりなストレスになるだろう。社会に出られない、自分の時間も持てない、義母の顔色を見ながら、家で子供の命と将来の重圧が重くのしかかる。

夫は口では二人で育てようという。気持ちは間違いなくそうだろう。だが、実が伴うか。今できないことを子供ができたからといってできるわけがない。おそらく状況は悪化する。

私は後ろめたさを抱えながら義母に全面的に頼り、夫の非協力的な態度にイラつき、次第にあいつは家にいなくていい、金だけ家に入れればいいと、夫を突き放さなければ気持ちに折り合いをつけられなくなるだろう。もしくは耐えられなくなって、飛び出すように離婚するだろう。

考えるだけでもゾッとする。そんな未来を私は望まない。

そもそも子供が欲しい理由も、夫家族の中で居場所を作るためという現状打破のためだった。長くなって来たので、また改めて書く。

私の夫はデススター不妊治療②

進展らしい進展はないのだが、記録である。

妻氏・私の方の検査は異常なしだった。正常の範囲で問題はない、黄体ホルモンはいいんだけど、女性ホルモンがちょっと低め、というくらい。

まあ、男と女、どちらにも帰属意識がある性のジプシーわたくし、何となく分かる。

夫氏の検査結果も出た。

採精の日。前の日に仕事で失敗してめちゃくちゃ落ち込んで、睡眠時間も全然足りない夫氏。朝一番で採精、病院へ持ち込んだ。同伴しなかったため、結果を後日私が聞きに行った。

診察室に入ると先生は少し神妙な顔つきで

「夫氏さん、あれほど不規則な生活をしており、心配されていたんですが…」と話し始めた。

「そんな生活なんてぶっとぶくらい良い数値です」

むしろすげー結果いいから。と、前のめり気味に語る先生。

数値を指差しながら説明する。

「まずこれ、量。基準値の5倍。精子の量も全く問題ないっていうかめっちゃ多い。あとスピードね。これが基準値なんで、(基準値が一桁、夫氏の数値桁が違う)もうね。全然問題から」

先生曰く採精した日は仕事で落ち込んでいたことも在り、大丈夫かなーとしょんぼりしていた夫氏。そもそも先生から不規則でハードワークすぎるし、年齢も年齢だから、夫氏に問題があるかもね、とかなり釘を刺されていた。だが、オールクリアである。

あまりにも先生が面白そうに話すので、私もついニヤニヤしてしまう。でも、私はなんとなくわかっていた。数値が悪くても、「ああ、やっぱりね」と思ったと思うが、数値が良くても「やっぱりね」と思う。だって、彼はデススター型だから。

夫氏は一度主砲を発射するとおよそ48時間は準備のため主砲発射できなくなる仕様だ。たぶん、設計段階でレジスタンスがわざと不具合を仕掛けたんだと思う。(どういうことかは詳しくはローグ・ワンを御覧ください)

 きっと一投入魂が半端じゃないのだろう。(ちなみに数値がいいから夫氏が男性的かと言われると甚だ疑問だ。性欲も強くない。男性らしさ、性欲の強さと、精子とか体液はたぶん無関係なんだと思う)

 

だが、私はニヤニヤしながらも、めんどくさい思いが芽生えてきた。妻にも夫にも原因がない。要は原因不明の不妊だ。長期戦になりかねない。そう思うとうんざりする。

ひとまずはタイミング法を続けることになった。

妻氏はまた定期的(2,3日に1度)にエコーを膣に突っ込まれ、卵胞の定点観測を余儀なくされる。一度の拘束時間は別に、大したことはないが…足を広げて、金属(?)を粘膜に入れられるのは決して気分がいいものではない。エコーの向きかえる時ごりごり何かにあたって痛いし。

正直、耳鼻科で鼻の穴に謎に長い金属の棒を突っ込まれる方がいいかもしれない。いや、あれもあれできついんだよな…。

 

また記録を続けていく。

 

mangobus.hatenablog.com

 

子どもがほしいのか、なんなのか?不妊治療①

書いたかどうか、分からないが、妊活を始めた。掻爬手術から、3年、いや4年か。

 

mangobus.hatenablog.com

 

さすがに、自然妊娠は難しいだろうと、そして年齢的にも妊娠確率が下がりつつある。不妊治療をすべきと考えたわけだ。

 

で、タイミング法にトライすることに。

婦人科の先生が基礎体温や、生理周期、卵巣の様子を観察して、排卵日というタイミングに、セックスをするというもの。治療法というにはいささか原始的だが、堅実な方法ではある。

先生の見込みでは、うまいこと排卵日にセックスができたようだ。先生が様子を見てくれ、という日に生理は来なかった。

もちろん、普段の生理周期よりも短いその「日」に生理が来なかっただけで、まだ妊娠と決まったわけでもない。だが、いざ妊娠するかも、と思うと恐ろしく不安になる。

これから私の人生はどうなるのだろうか?

仕事はできるのか?産後、フルマラソン走れる体力はいつから回復するのか?トレーニングをする時間はあるのか?

33歳女性のランニング人口はどうやら2000人にも満たないらしい。(ランネットというランニング大会にエントリーできるHPでフルマラソン完走した同年齢女性のランキングをみたら1600人くらいしか全体で登録されていなかった。34歳男性は6000人いた。)

忙しいのだろう。いや、考えてみれば、フルマラソンって40キロ以上走るから、そもそもパイが少なくて当然なのかもしれないが。

 

一人の人間を育てる覚悟を私はできるのか?そもそもなぜ私には子宮がついているのか?他の人と同じように、女に孕ませられる機能をなぜ私にはついていないのか?

他人事であれば「別に、そんなに考え込まなくても」と思うことがどんどん押し寄せてくる。

 

しかも、前回の掻爬手術のとき、私は子どもが流れるということに一片の「母性」というものを感じなかった。いや、何を持ってして母性というのか分からないが、「可哀想…!」「私のかわいい赤ちゃんが…!」なんて感覚はなかったのだ。妊娠がわかった時は「安全にお腹の子が生育できるよう、最大限リスクを取り除かねば」と義務感と焦りは覚えたが、流産が決まった時「そうか。簡単にできないもんだな」と少しがっかりしたのと、やっぱり自分は子どもが産めないんじゃないかと不安になったのと、重圧から解放される安心感があった。子どもが云々なんてことは思わなかった。徹頭徹尾、己が事しか考えていなかった。いや、今も。

そんな人間が、母親になる、というのはなかなかおぞましい感覚がある。

「母親」?「親」?

疎んで、哀れで、後ろめたくて、不愉快に社会から持ち上げられていて、だけど結局は庇護の対象でしかない「母親」に、私が?
(と、書いてて気がついたが、母親に対する印象が悪すぎるな私)

 

が、結局のところ生理がきた。辛い生理痛を引っさげて。

ホッとしたような、また長いトンネルの中から抜け出せないのかと、うんざりしたような、なんとも言えない。

妊娠したらしたで不安、生理になれば生理痛と流れ続ける血液に悩まされる。

どっちも不快でどっちもきつい。

 

潜在的FtMゲイの人がウェブ上で「女が妊娠するなんておかしい、全部試験管や人工的保育器で子供が育てばいい」みたいなことを書いていた。なんで?と思ったが、自分には他の人(男性)と同じような生殖機能がないからだ。自分は男に生まれてくるはずなのに、自分の子どもを持とうと思ったら自分が誰かから精子をもらって自分の腹で育てることしかできないからだ。だから、そんなことを書いていたのだ。私も同じだ。人類は皆・・・みたいな書き方だったらよくわからなかったが、自分が女性で、女性としてしか子孫を残せないのがきっと不服なのだろう。

私にもわかる。だが、私が妊娠しなくては、夫と私のハイブリットは産めないのだ。ハイブリットである必要はない。特別養子縁組もあるのだから。だけど、特別養子縁組もそれ相応の覚悟がいる。

人間を育てる、これは、どんなプロジェクトよりも、覚悟がいるのだ。だからこそ、コンドームに穴があいてて妊娠するとか、捨て子でも拾ってくるくらい偶発的な事故的にでも起きない限り、腹を括る勇気を私はやっぱり持てないような気がする。

 

いや、でも、もうちょっと頑張るよ。不妊治療。

 

私が古代人だったら…

私が古代人だったら、と、妄想することはないだろうか?私は結構ある。

歯が痛くなった時、私が古代人だったら痛みを取り除く方法がわからなくて痛みに悶えながら死んだかもしれない。

肌がカサカサすぎて顔や手が血だらけになったり、ブツブツになった時、ステロイド剤がなかったら痛くて痒くてなんつーかーもー外に出られない感じの肌になっていたかもしれない。

 

もしも鏡がない時代だったら、私は近所でも有名な鼻毛マスターになっていたのではないかと思う。(いやもうなってるけども)

 

人生にもしもはないが、いろんな意味で体をケアできる現代に生まれてよかったなと思う。

もちろん、昔はみんな鼻毛ボーボーだったんだとは思うんだけど、毎日カットしてるのに、毎日鼻毛がこんにちはするこの顔面はやっぱり如何なものかと思う。