コンサータ27ミリ服用 勝手に薬を飲むのをやめてしまった
コンサータ27ミリ服用8日目 睡眠約7時間
薬を飲むのをやめてしまった。理由は極めてシンプルで、昼過ぎまで寝ていたかったからだ。
この日は休みだったこともあり、ついうっかり5時頃まで読書に没頭してしまった。図書館で借りた本で、返却日もあるしそろそろ読み始めないとなーと軽い気持ちで日付が変わってから手を出したわけなのだが、存外面白くて止められなかった。明日が休みだという解放感、恐るべし。
まぁというても、12時前まで寝てても、7時間近く寝れるのだが、翌朝は6時前までには起きないといけないので、ヘタに薬を飲んで夜の睡眠に影響を与えたくはなかった。
コンサータを使わないで常に眠い状態にしておけば、おそらく12時前でも寝れるだろうと。
日中だるくてだるくて仕方がなかった。寝起きのだるさがなかなか抜けない。
ドーピングしていないとこんなにだるいのか、それとも薬によって普段無理やり覚醒しているからだるみが出たのか?よく分からないが、とにかくやらなきゃいけないことをダラダラやりながら過ごした。
勝手な推測なのだが、体の中の薬効成分が完全に浄化されるのにはそれなり時間を要すると私は考えている。コンサータという薬の効果自体は12時間できれても、完全に消失はしていないだろうとおもう。だからこそ、数日間飲み続ければ食欲減退感がなくなるのではないかと思うわけだ(単純に体の方が薬がある状態に適応しているだけかもしれないが)。
だからか、は、全く分からないのだが、夜、約4時間ほどの長距離の電車移動をしたのだがあまり眠くならなかった。
眠くなっても、我慢できる程度。
ちなみに目算通り、夜はすぐ眠れた。
コンサータ服用から20日間を振り返って
コンサータ自体を服用し初めて20日経った。そこで用量が増えたあたりも鑑みつつ、振り返りたいと思う。
まず、きっかけは、ADHDで睡眠障害、睡眠の質をあげるだけでも楽になるという話を聞き、病院にかかってみたわけだ。
そして、初診のログ。仕事でのやらかしを言ったら速攻コンサータ18ミリを処方された。
初診で。検査無しで。たぶん、やらかしっぷりが深刻なレベルなんだろう。
その後、 再診にて18ミリから27ミリに。その変化、副作用について、また18ミリ、27ミリの容量による変化を整理していきたい。
①処方による変化1…ブログ更新が継続されている
とても些細な変化しかないのだが、薬を飲み始めて以来、ほぼ毎日ブログを更新していることに気がついた。
これはわたしにとってかなりびっくりした事だ。もちろん、仕事がたいして忙しくないという大前提はあるのだが、20日間も継続できますかね?と。
しかも、結構ちゃんと推敲しているし、見出しなんて、つけちゃったり。
ワイ、こんな丁寧な仕事が継続したことある?
②処方による変化2…日中の眠気の減少、体の軽さに気がつく
薬を飲み始めて気がついたことなのだが、私は緊張や強めのストレス、プレッシャーを感じていると眠くなるようだ。初対面の人に会う、何話していいかわからない相手とある、撮影に行く…人と会うという前に強烈な眠気に襲われる。それでも起きていないといけないわけだし、そもそも仮に横になれても不安で寝れないわけだ。
しかし、それが、軽くなったような気がする。あまり朦朧としなくなったというか。事務仕事の時もそうだ。食後の眠気がなくなった。あるような気はするのだが多少だるい程度というか、ドラゴンボールZでブルマが用意した宇宙船内のトレーニングばりに重力が10倍になって体を起こしていられない…なんてことは起こらない。
なんというか、薬がきいている時間帯は比較的体が軽いのだ。
③副作用について
・食欲減退
基本的に食欲減退。しかし、日々飲んでいるせいか、なんなのか、身体が微妙に慣れてくる。単に食が細くなった感じなのだが、別に薬のせいで食欲が減退しているだけなので、腹は減る。食べるタイミングを図るのが難しくなった印象だ。そもそも2食くらいしか食べないから、別にいいんだけど、夕方にぶっ倒れそうになる。
・吐き気・頭痛
処方された当初、実はけっこうしんどかったように思う。だが、27ミリにしてからはさほど気にならなかった。
・口の渇き
口内炎…と思っていたが、これは二次的なものなのだと思う。おそらく、私は口の中が乾いている。最近、ずっと舌がピリピリしていて、なんとも気になっているのは、水分が平常時より少ないためだろう。水分量が減ったことによる口腔内の雑菌の増加が主な原因ではなかろうか。
・離脱症状
副作用カテゴリーではないかもしれないが、一つの見出しとして立てるほど自覚的ではない。ただ、薬が切れるくらいのタイミングで、どっと疲れが出る。おそらく離脱症状ではないかと推測する。
④用量18ミリと27ミリとの違い
注意欠陥や多動が収まり、落ち着きが出たか、と言われると全くだし、数字も文字も読みにくくて仕方がない。日々予期不安に怯える毎日であることには変わりがない。ただ、成分の量による変化は振り返ると確かにある。
18ミリの場合 寝覚めがいい、仮眠の眠りが浅いくらい
薬が効いている時間帯、眠気は無くならない。だるさも無くならない。体は重い。だが、仮眠する時に少し寝苦しい。寝付きが悪いとか、眠りが浅いとか。だが、そのおかげが20分程度の仮眠でも寝覚めがとてもいい。こんなに軽やかに体が動くのか、とちょっと感動したほど。睡眠に悩まない人の朝の寝覚めとはこんなものなのかな、と思うと、マジで同じ土壌で戦わざるえないこの地球(ほし)が恨めしい。
27ミリの場合 日中寝れなくなった、しかし眠気は起きる、夜寝落ちしにくくなった
薬が効いている時間帯、眠気は少し減った。だが、眠気に襲われるタイミングがない訳では無い。体は重い。だが、眠れない。寝るつもりで19時ごろ、横になったのだが、なんとなく落ち着かなくて、ケータイをいじってしまった。寝落ちすることがなかった。また、とっくに薬は切れている時間帯(24時過ぎ)でも、なんとなく、眠る気に慣れなくて、2時ごろまで起きてしまうなんてことがある。そもそも2〜4時ごろ寝る習慣であるせいはもちろんあるのだが、それにしても、少し値落ちするのが遅くなった記憶がある。疲れて返ってきたときは、階段をのぼることさえ、辛い。登り切る前に、力尽き、階段を這って登り、そのまま横になり、朦朧とする意識のまま、服を脱ぐ…なんてことがなくなった。
薬を飲んでみて改めて思ったのだが、私は日常的には睡眠障害にやはり苦しんでいたのだと思う。圧倒的な眠気の中、よく頑張ってきたな、と。36ミリがおそらくは私の適正量ではあると思う。それ以上多いと夜眠れなくなりそうだし。だが、日中の眠気を抑えたところで、夜間の睡眠の質には少し不安が残る。
やはり、寝起きがものすごくだるい。睡眠時間が足りないのではなく、おそらくは睡眠が浅いのだ。だから寝ても寝てもだるいし、眠れなくても身体を起き上がらせることができないのではないだろうか。
コンサータによって集中力が増すことで、肉体疲労によって、夜間の睡眠の質が向上するものなのか?次回の再診の時、また考えたい。
この本を読んでみようと思う。
岩波明ってよく名前見るんだけど…なんの人だっけ?
コンサータ27ミリ 使用一週間目
コンサータの用量を増やしてみたが、18ミリのときのように、毎日書くとなかなかうざったかった上に、いうほど日々に効果が出ないと気が付き、一括で書くことにした。
1日目 睡眠7時間
起床はいつもどおりの10時ごろ。あまりきいた感じはない。
2日目 睡眠断続6時間
朝6時前に起床。前日4時過ぎに寝たため、クソ眠い。この日の睡眠時間は6時間くらいか(事前に4時間ほど寝てた)。薬は起きてすぐ飲んだ。18時くらいに薬の効果は切れているはずだが、あまり離脱感はなかった。23時ごろには寝た。
3日目 睡眠11時間
自然に目が覚めたのは8時前。おそらく、寝た時間が早かったためだろう。いまいち記憶がないが、11時前には寝ていたように思う。しかし、うっかり安心して二度寝、10時前ごろ起床。コンサータもその際飲む。ということは…11時間寝たってことかな?
仕事では、経費精算。集中力もなく、進捗も全く思わしくなかったが、日中、一切眠気が起きなかったのはコンサータのおかげかもしれない。口内炎が出る。食欲がわかず食事をし忘れる。
22時頃に薬がきれたになるが、なんとなく24時前後は眠くて仕方なかった。家に帰ると全く起きいられず、速攻布団に。少しスマホをいじる。
4日目 睡眠7時間
8時過ぎに目が覚めるが、起きられず9時に薬を飲む。寝たのが2時前だから7時間くらいか。だるい身体を引きずるように外出。口内炎続く。前日夜、筋肉痛を感じたが、目覚めるとそうでもない。
初対面の人とあったりしてて、別れた後、移動中くそ眠かったけど、眠れなかった。薬のせいなのだろう。
20時過ぎに会社に戻るも誰もおらず、あまりのだるさに、うっかり横になってグダグダTwitter見てしまった…。寝落ちしなかったことだけは評価したい。
5日目 睡眠7時間
起床(目が覚めたの)は8時。あまりのだるさに薬を飲んだのは9時、そのまま起床。
前夜、疲れているのに、なんだか寝つけなくて(寝る気になれなくて)2時前後までグダグダしてた。6~7時間くらいか。
しかし、やはりそれなり寝てるのに何ともだるい。コンサータは睡眠の質にも影響を与えるものではないような気はする。適正の睡眠時間ではないのだろうか?
6日目 睡眠10時間
前夜、歯も磨かず眠ってしまった。12時前だったと思う。目が何度が覚めたが、アラームをかけた記憶がなく、時間を確認したのは7時。目は比較的覚めて、動けるような感覚もあったが、全身の倦怠感がきつくて、起き上がれず。今寝ておこうと10時前までうとうとする。この日は鬼のように集中して経費精算ができた。終わったあとふらふらになったが、精度はともかく、フルで集中して作業できたのは、薬のおかげかもしれない。
7日目 睡眠8時間
前夜2時すぎに就寝。アラームにより8時に目は覚めるが、こんなに早く起きることもあるまいと二度寝する。気が付けば10時過ぎ。体がだるくて起きたくない。11持過ぎになって流石に薬を飲まなくてはと起きる。ダルい。経費精算で何故か手書きで書かされる項目がある。うんざりする。10項目くらいだが、手書きだと、間違えまくる。コントロールZで戻したいわ。書き直すと、集中力が下がるから余計失敗する可能性があがる…うわー。エンドレス経費精算。
整理してみてわかったが、私はだいたい8時には目が覚めてるんだな…。
ADHDは本当に狩猟採集民族時代の名残なのか?
ADHDや発達障害が狩猟民族だとかいう論説があるが…個人的にまゆつばっていうか、ポジティブにとらえすぎていやしないか?と思う。
山に行くと思うのだが、ADHDを1人で野放しにしたら死ぬと思う。海もそうだ。
海は何かしらのトラブルが起こって、パニックになって、呼吸出来なくなったら、そう思うとなかなか行く気になれない。水棲生物についても、山の動物よりも遭遇、接触する確率が高い。
海に関しては経験値が少ないから恐怖のイメージが強くすぎるところが大きい気がする。
だが、山は自信を持ってADHDが本能のまま己を解放したら、コロッと死ぬだろう。
もちろん、現代の登山で、考えたらADHDとかいうレベルじゃなくてハードルが高い。古代、狩猟採集生活をしていた頃、山に入って狩りをしていたとしたら。
それでも、コロッと死んだと思う。よく、注意欠陥が有用だとか言う。実際それは分かる。遠くで音がした、この音は何か?とか、嗅ぎなれない匂いがする、とか、動物の気配がする、司会の隅で動物が見える、感覚過敏だからこそ有効なことはあるだろう。だが、もし、山中でのなにかに過集中が発生してしまったら?何かを追いかけて、足元が見えなくなって崖から落ちることもあるだろうし、そもそも道をロストしてしまったら。
そういったことがなくても、時間の経過を忘れ、日が暮れたら?山中では心身の疲労する速度も早い。
程よい集中と散漫さが同時に求められるのが山生活では必ず必要になると思う。恐らく、マタギなど単独で狩りができる人はそのへんのバランス感覚が経験値も含めて抜群なのだと思う。
十把一絡げにADHDは狩猟民族の名残なんて言うのは自然の脅威を知らない都会のロマン主義者の戯れ言でしかないだろう。(私もよう知らんけど)
私は怖がりで慎重な性格なため、あまり大胆なことはしないのだが、それでも、山中で根っこに引っかかって太ももを殴打したことがある。
外傷も腕周りのかすり傷程度で、太ももには大きめの青タンができた程度だが、その程度でも足を引きずるほどいたく、びっこを引いて歩く感じになってしまった。
街の中ではすぐに傷口を洗えるし、冷やすことも出来る。しかもその転んだ直後に雨も降ってきた。まともな雨具も持っておらず、日も沈みかけていた。無傷ならばすぐに下山できる里山ではあったが、引きずる足ではなかなか気持ちがせいてしまった。山中では、とりあえず日が暮れるまでに下山することが最優先になる。
ちなみに、軽いケガでも、なんというか、すげー不安になる。メンタルに来る。メンタル弱めなADHDには鬼門と言えるだろう。
人間の街から出ると人は驚くほどひ弱だ。
ADHDが狩猟に適切ではなく、狩猟には多様な能力がそもそも必要だという事なのだと思う。それを人は能力差におうとつのあるこじんをまとめあげか、チームプレーにより、達成していたのではないだろうか?
変化に気がつく感覚の鋭敏さ、状況の変化に動じないメンタリティ、チームをまとめあげる統率力、危険を回避する機転…。
恐らく、ADHDの特性は有用であったと思うが同じように定型発達者も同様に間違いなく有用だろう。
むしろ、悲しいかなADHDをあえてチーム編成に取り込まなくても、いいような気もする。
私も、発達障害が病気とは思えない人間のひとりではあるが、個体で動く時、発達障害があることが効果的な場面は、どれほどあるのか?は甚だ疑問だ。
ADHDがこの数人間の中にいて、もはや特殊な病気やDNAのコピーエラーでもなく、自然淘汰されることもなく現代まで引き継がれているということはある程度この社会に有用性があるものなのだと思う。
思うに、コミュニケーション力が弱いとはいえ、やはり、チームプレーのときに必要な資質だと思うのだ。
単独行動が可能なのは定型発達者だろう。
考えてみれば、ゲームキャラでも、攻撃力がバリ高いけど、その分ダメージにも弱いやつは短期戦や、切込隊長としては有益だが、結局最後まで戦えるキャラはヒットポイントが高く、攻守のバランスがいいやつだ。(このゲームキャラとは、FGOの私のチーム編成では、ヘラクレスと、ホームズを想定しております)
Fateシリーズの原点を貼っておこう。私FateシリーズはFGOとZEROしかほぼ触れてないけど…
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おそらく、現代社会というのはチームプレーの社会に見えて、個の平均的に高い能力が求められる社会なのだと思う。凸凹のある人材をうまく使うリソース、余裕が無いというか。
過去のように相互依存的、監視的な社会になる必要は無いと思うし、そんなことをしなくてもこの社会は回る余裕はあると思う。しかし、今のままでは無限に個に求められる能力は爆上がりしていくような気もするんだよな。
うーむ…。
ASD傾向を感じる自分の特性
最近、発達障害に完全にフォーカスしたブログになってしまった。
先日、Twitterで、こんなものが流れてきて、納得してしまった。
子供のうちにADHDと診断された人は大人になると治ることが多く、一方大人になってからADHDと診断された人は子供の頃は実はADHDではなかったことの方が多い、という研究報告がある。子供のADHDと大人のADHDは全く別の病気ではないかと疑われるのだ。大人のADHDは「発達障害」ではないのかもしれない
— ultraviolet (@raurublock) 2018年5月26日
我ながら少し発達障害やADHDに気持ちを寄せすぎではないかと感じるところがある。本を読めば読むほど、そこに書かれている人々の困り具合に比べれべ、私はここまで困っていないな、と(失業にも繋がりかねない人生の大損害を年1で起こしているので、困っていない訳では無いのだが)
現状、解決策やADHDを原点とすると納得するものがあった。
ずっっっっと悩んできた体のだるさや朝起きられないこと、不定愁訴に、解決の糸口を見いだせたようで、私は興奮しているところがある。
これで、事務仕事のミスが減るかもしれないし、出禁になるような大チョンボに繋がる凡ミスをしなくなるかもしれない、本を読むのも書くのも楽になるかもしれないし、朝起きて死にたくなることもなくなるかもしれない。(朝起きて死にたいというのはこのまま永遠に起きたくない、いっそ死にたい、なぜ私は生きているんだろう、なぜ会社に行かなくては行けないのか?とかの重めな逡巡が毎朝ひどい)
体が重くて諦めてしまっていたあれやこれやもできるようになるかもしれないという、我ながら少し過大に期待しすぎだなとは思うが、それくらいの可能性を私に見させてくれている。だから私にとっては発達障害なんてなんだっていいのだ。
そんな最近の自問自答の中で、ADHDでは説明がつかない、ASDと仮定すると合点が行く特性、過去の体験に気がついた。それは聴覚、光への感覚過敏だ。
ASDを疑う①聴覚の感覚過敏
ひとつは音に対する感覚過敏だ。私は子供のころ、難聴を疑われ、病院にかよっていたことがある。私の物心ついた頃の記憶では、音の検査ではなんの問題はなかったのだが、それにしては、どうにも人の言葉がよく聞き取れなかった記憶がある。音は聞こえるのだが、言葉が聞き取れなくて、テレビの音とかをガンガンにあげちゃうとか、喋っている内容の音がどの言葉を言っているのか分からない。
畳屋をタピオカ屋と聞こえてしまったり。これは昨日の聞き間違えだが、こういう、音だけに頼ったら全く文脈に沿わない音に聞こえてしまう。というか、言葉が認識出来ないのだと思う。
言葉のリズムや音の高さは覚えていられるのだが、言葉として形をなさないから、頭の中で探し治さないといけないのかもしれない。だから、似たようなリズムやアクセントの類語を間違えて引っ張り出すのかな。
にしてもタタミとタピオカはひどいな。
だから、前後の会話や状況を見て、意味を考えるのだが、子供の頃はこれが多かった。あ、みんなもやってる事かもしれないけど。
テレビのバラエティ番組は声が聞きとりずらい。BGMや笑い声が邪魔で。ドキュメンタリー系の番組でも、テロップがないと音が聞き取れなくて、きついことが多々ある。今でも音が多すぎて民放を見ていると疲れてしまうことがある。いや、バラエティ番組は昔から大好きではあるのだが。
子供ながらに、難聴を疑ってかかっていた。人の言葉以外はどんなに小さい音でも聞き取れていたからだ。子供の頃からの癖と半分趣味なのだが、家にいながら外の音を聞いて周囲の様子を伺うところがある。幼馴染の家は今帰ってきたか、お隣の家の車の音だ、これは誰さんの歩く音だ、これはあの家の砂利の音…音を聞いて近所の家の生活リズムや、我が家への来訪者の様子を確認するのだ。というか、よほどなにか集中していないと音がする度、この音はなんの音か?と気になってしょうがなかった。
一方で大きい音は苦手だ。朝、目覚ましのアラームは聞こえた瞬間に消す。着信のバイブの音さえ不快に思う。ともかく、突然の大きな音を聞くとパニックになる。
低速で車移動中、窓をあけてと言われたのに、ほかのことに気を取られてて、車の窓の開け方がわからなくなって、ドアを開けてしまったら、ドアが開ける時の電子音やら、周りの人の怒号やらで、さらにパニックになって、ドアを閉められなくなった。意味がわからない失敗ですよね。ええ、そういう「なんで、そんなことが、起こり得るの?」ということを年1でやってるんです。
ASDを疑う②光への敏感さ
どちらかというと、子供時代から連続しているのは音に対する感覚過敏。
最近、自覚したのは光に敏感だなというところもある、それは加齢による眼球の弱体化な気もするが、地方在住であったことや、LEDライトの開発前であった幼少期はそこまで光を煩わしく思わずに済んでいたのかもしれない。東京に出てきた最初の夜、街頭の明かりが眩しくて、ガンガンに目が冴えてしまった。なんで、家の前に街灯があるんだと、震えた。これは上京民あるあるな気はしますがね。
でも確かに子供の頃から日光は少し苦手だった。日中はよく見えなくて、カメラで撮った絵の方がいいや、とか思ってたり、小さい頃から夜の方が得意だったことを考えると、眩しいという感覚が強かったのかもしれない。(最近感じるようになったのは華麗ではなく、週末外で活動する機会が増えたからか?)
ASDを疑う③映像に対するこだわり
記憶の仕方、とも言える気がするが、私はおそらく映像でモノを覚える傾向がある。
地理感覚が優れた人間だと長らく思ってきた。理由は1度通った道は早々忘れないからだ。だから1度通ればあまり迷わないし、よほど方向感覚がヤバい状態になっていなければ絶望的に迷うことは無い。
しかし、どうやら、私のこの能力は地理感覚、方向感覚というものではなく、見た景色を忘れないだけなんじゃないかと気がついてきた。
以前、千葉の外房を散策していた時に突然「この道、通ったな…」という感覚に襲われた。それで、記憶を掘り返してみると、3年くらい前に友人宅を訪ねた際にその道を通ったのだ。あの時見た看板の1、看板の色、描かれている絵の形、道の曲がり方…その道を通った時は夜だったが、街頭のない山道の寂れた看板とどこに繋がっているか想像しにくい曲がった道は妙に頭に残っていたのだと思う。
道を通ると突然と、記憶の映像と目の前の景色が符合することがある。
もちろん、似たような景色では記憶が間違えて結びついてしまうこともあるのだが、情報としての記憶は映像記憶が強いように思う。
それを感じたのは、借金玉氏の名刺の記憶方法のハックを見た時だ。
彼は名前を顔を一致させるためにあだ名をつけるという。出たよ、私がいちばん苦手な覚え方。あだ名だけ覚えて名前忘れるんだよ。
顔を覚えるのはそんなに苦手じゃない。たぶん、あのネタの時にあった、季節はまださぶかった、あの駅の、あのホールであった、あの席に座っていた、青と黒が印象的な名刺あの人、あの名刺は…とキーワードを探して、思い出せる。
名前に関して一番いいのは漢字を覚えることだ。もしくはひらがなでもめもる。名刺のあのレイアウトのあの辺に書いてあった文字は…清と水…清水か。
めもることで音は形を伴う。ノートのあの辺に手書きで書いたあの文字…たかはしか、とか。
ただ、漢字を覚えていると、漢字の順番を間違えたりするから、村松、松村など、ちょっとどちらを前にしても成立したり、音も、フォルムもそこまで離れていない漢字の連続体は本当に覚えられない。
こうやってみていくと、映像業界に固執してるのはもはや必然な気がしてくる。音が気になって仕方ない、文字や音や概念よりも映像記憶が強いなんて。
色々思い返すと、ADHDは母方の性質が強く、ASDの性質は父方が強いような気がする。いや、2人ともどちらも併発していたような印象はあるのだが。
自分の知覚を丁寧に解きほぐしていく…なんだか、アスペルガーの綾屋先生の本のようだなぁ。
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1日の可能作業量を探る(コンサータ27ミリ 使用1日目)
18ミリの時は日々のことを毎日アップしてたが、振り返ると、流石にエントリー数が多くてなかなかウザイなど感じてしまった。
初日は書く量が増えてしまったが、書くことがない日は、なるべくまとめる。
前日うっかり寝たのが朝方5時近くになってしまった。投薬は早い時間の方が効率がいいと、目覚ましが8時にかけて、目を覚ました。重い体でコンサータを口に入れ、寝直し、目覚めたのは12時前。
一日の可能な作業量のキャパについて
仕事を入れようか入れまいか昼過ぎまで迷っていたのだが、借金玉氏の本の「我々のしごとは第一に休むことだ」というのに触発されて今日は休むことにした。(確かに休むことをおろそかにしがちだし、最近、私は純粋に人の倍くらい疲れやすいことを自覚し始めてきた)
ていうか休めてはいないのだが、外出するという時間と体力を大幅に削るカットすることにしたわけだ。同様の理由で夜の外出ぶっちぎった。
ADHDの人は自分が思っている以上にスケジュールを詰め込むらしい。もちろん、詰め込んでいるつもりは無いのだが、無駄な動きが多いのだからこそ、1日の予定はシンプルに、バッファをもたせることを心掛ける必要があるかもしれない。
作業効率を下げても衝動性を大切に
洗濯をたたみ、洗濯機を回し、干し、布団をほし、部屋の掃除をした。ブログを多少整理して、仕事のメールを打った。翌日の外出の準備図書館で本を借り、買い物を済ませた。
途中だるさや、片付けたくない衝動が起きるがそれには逆らわない。やりたいことからやっていく。目に付いたことからやっていく。無駄は多いが、自分の衝動を蔑ろにすると、集中力が削がれて、余計、終わらない。
飯は無理しても食う
コンサータの副作用だろうか、全く腹が減らない。掃除中に見つけたプロテインの試供品を途中飲んだのだが、エネルギー切れを感じる。なにか食べないと行けないなぁとは思いつつ、時間がもったいなくて、なかなか食べる気になれない。 結局すべての用事を終わらせた8時頃にようやく食事に。
血糖値が下がりすぎていたのか、若干もうろうとするというか、フラフラするというか、手に力が入らなかった。
食欲という衝動性を抑えられたゆえなのだろう。アスペルガーの綾屋先生が当事者研究として、腹がすくという感覚の把握の仕方がわからず(腹が減る、というお腹がなる、お腹が凹む、フラフラするとかの全身から発せられるサインを一つ一つ意味を関連付けて腹が減るという事象として把握出来ない)ぶっ倒れるまで空腹に気がつけないから、時間を決めて食べるようにするというのを、言っていた。
私はもちろんそんなことはないし、基本的に腹が減ると腹が減りすぎてすぐさまなにか食べないといられない質なのだが、そもそも腹が減らないと、食べたくない、ほかのことをしたいという衝動が起こることがよくわかった。
外出してる時はいいが、家だとな…。対策を考えないとなぁ。
離脱症状に近い感覚を感じた
家に帰り、ブログや翌日の準備をしたが抗いがたいだるさに襲われる。食後に気が緩んだことや、やりきった感や、あとなによりもコンサータが切れたのだろう。
効いている感じはなかったが、それでも、覚醒状態を維持してくれていたのかもしれない。途中だるくて横になったりもしたのだが、眠りに落ちることは無かったし。多動性などにはまだ足りない気がするが、やはり35ミリが適正量かもしれないな。
借金玉氏新書「発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術」感想
予約していた借金玉氏の本が届き、早速読んでみた。
借金玉氏とは、アルファツイッタラーの一人で、ADHDとASDを持つミスター発達障害みたいな人で、普段は不動産屋のサラリーマンをしているのだが、ツイッター上で、よく色んな人とぶつかって炎上している。それが面白い人だ。
ちなみに、本の内容の見出しはこちらに書いてあるとおり。ご興味があればご一読くだされ。↓
私は保守的で心配性な性格のために薬物療法には懐疑的だったが、コンサータを試すのもありだなと思えたのは、借金玉氏のブログを読んだからだ(直接的にはもちろん医者が飲んでみろって言ったからだが)。
そもそも私から見た借金玉氏について
まず、私はたぶん借金玉というアカウントを知ってたぶん4年?くらい前から知っているような気がする。2,3年かもしれないが、ともかく結構前からよく見かけていた。ここ数ヶ月は分かり手さんばりにガンガンにフォローしているが、たしか2回くらいフォローしてリムしてを繰り返した記憶がある。
最近は変な話、まだ内容が追いかけられるし、類推できるツイートなのだが、以前フォローしたときは、もっとヤカラ感がひどかった。こいつ面白いな、と思ってフォローするのだが、すごい勢いでつぶやいていて、ことの発端が追跡できないほどだったし、うるせえなと思ってリムるというのを2度ほどしたような気がする。
ライフハックのテーマに移る前、冒頭部分で借金玉の人生のざっくりとした流れを書いていてツイッターを始めてからも自殺未遂やら酒と睡眠薬の依存が乱用がひどかった的なことを書いてあったし、コンサータを飲み始めたのもそんなに日が経っていないことで合点がいった。
最近ツイッターが読みやすく感じるのは、そういう経緯だったのか、と。
今回の新書は基本的には、ブログやツイッターでつぶやいていることが中心だ。だが、それでも、整理されていないブログを見るより、たしかに本は読みやすい。
私がちょうどブログに興味を持ち出したときはなぜかクジラうまいしか言っていない時期だったので、うん、まあクジラはうまいかもしれんが、うん…と思って、ブログを読むのをやめてしまったりしていたので、本は間違いなく読みやすい。
ライフハック本としての実用度はかなり高い
いくつか本当に実践してみようと思うライフハックがある。即実行できるし、即実行したのは、神棚と本質ボックス。本質ボックスは、いいアイデアだと思う。
そして一番期待しているのは、L字デスク。早速楽天でサブデスクを買おうという気になっている。買うかはわからないが。
下手なADHD本にかかれているアドバイスより確かに実践的だし、役に立つ。
ADHD本にあるやつは「やってるけど困ってんだ馬鹿野郎」or「それができるんだったら最初から悩まねえよ」だからだ。
共感できない部分ももちろんある
ただ、共感できないものもある。1つはバインダー。ちょっと読んでもバインダーで書類をなくさないイメージがつかなかった。基本的にすべてをウェブ上、PC上で管理しようとしている私には不必要なのかもしれない。
それと名刺管理。概念を思いつく話は確かに聞いたことはあるのだが…たぶん、能力の差なのだろう。私はどちらかというと、記憶を映像で覚えるタイプなので、名刺のデザイン、色、名前の漢字、出会った場所(景色)で覚えておけばけっこう名前と顔が一致する。
それと、もう1点はデスクの上にあるものを、ガーッと腕をスライドさせてテーブルから落とすという整理術。
たしかに、片付けられない人たちにとって見れば、画期的な片付け術だと思う。が、私は無理だなと思う。物が落ちる音を想像するだけで、震えだしそうになるからだ。
私はたぶん音に過敏なのだと思う。
映像(厳密には静止画)で物事を記憶することと、音に対する執着は、おそらくADHDというよりかは、ASD傾向が強いのではないかと思う。
ちなみに、睡眠の項目については全く参考にならなかった。朝は起きられないが、別に眠れないわけじゃない。むしろ私は寝たくないんだ。
日本一意識の低い自己啓発本…なのか?
ほかにも、興味深いコーナーがあった。会社の社風に、どう適合していくか、という心構えであったり、依存症についてであったり。
依存症については、アルコール依存、合法薬物への依存は、たしかに、違法薬物の依存と違って、逮捕という強制力でやめられないだけにしんどいものがたしかにあるのだろうという興味深い視点があった。これはこれで一冊の本になりそうじゃないかと。
それと、社風にどう合わせていくか、については、借金玉が、人生をかけて、手に入れた社会の仕組みの解説と、どう乗り越えていくかが抱えれているのだが…もちろん借金玉ほどの反骨心というか、反社会的人格であるならば、これくらい迎合姿勢を示したほうが良いとは思うのだが、この社風に関してのライフハックは突き詰めてしまうと、ブラック企業に体よく使われる人材の量産になりかねないなぁと。
もちろんバランスなのだと思うし、これについてはツイッタラーなどなどとよくよく議論をして、さらに考え方を深めてもらいたいなと思った。このコーナーも掘れば掘るほど一冊の本になるほどの面白みがあると思うので、今後に期待したいところ。
今回のこの本は、一冊目にふさわしいというか、借金玉氏のプロフィールみたいな、なんつーの、ファンブックみたいな部分が強いように思う。年齢のせいかもしれないが、ライフハックを本で読むのはどうもなー…と。読み応えがないっつーか。(いやためにはなったんだが)
あと、意識低いって言ってるけど、目標が「生きよう」という生者として最低ラインというだけで、あんまり意識の低さはあんまり感じなかったんだがなぁ。
ただ、生きづら系の人、発達障害系なんじゃないか?と思う人には間違いなくおすすめの一冊。