大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

アダルトチルドレンぽい

AC、アダルトチルドレンというのはよくわからないのだが、

(昔はエッチなものだと思っていたくらい…)

どうも私もACの一種っぽい。

 

自分に自信がないとか、

相手の意見に合わせてコロコロ自分の意見を変えるとか

自分の意思がないとか

人目が気になってしまうとか

そういう特性があるそうだ。

ばっちり当てはまる。

 

「母を棄ててもいいですか?」

 

母を棄ててもいいですか? 支配する母親、縛られる娘 (こころライブラリー)

母を棄ててもいいですか? 支配する母親、縛られる娘 (こころライブラリー)

 

 

 

母を棄ててもいいですか? 支配する母親、縛られる娘 (こころライブラリー)

母を棄ててもいいですか? 支配する母親、縛られる娘 (こころライブラリー)

 

 

という本を読んで、びっくりするほど登場人物たちに共感してしまった。

しかもなんか色んなコト思い出しちゃってちょっともやもや。

 

ACの女性は自分に自信がなく、主体性がないので、

DV男や、モラハラ男に漬け込まれやすいそうだ。

でも、私はモラハラ男と付き合ったことも暴力を振るわれたこともないし

我儘といわれることもすごく多い。

 

ACとして、完全じゃない(たぶんそれなりに愛情は受けて育った)のと、

能力が低いのと、社会性が低いせいだと思う。

 

でも私がACとして生きづらさをさほど感じていないのは、

たぶん、クリエイティブなことを高校時代からしていたことと、

父親が早く死んだというのがあるのではないだろうか?

 

一時、シングルファザーだった父にはよく育ててもらったとは思うが、

それ以上にすごい罵詈雑言を浴びせられた。

怒られている自分を空から見ている気分になったことはよくあるし、

その時習得した技に、心を凍らせるという技があり、

何を言われても気にならない。

辛い時は心をシャットダウンすればいいというもの。

(社会人になったときもこれは重宝した。)

 

しかし、父が生きていれば、私はもしかしたら就職もできたら微妙だし、

今も家にいて、恋人も出来なかったかもしれない。

 

父は今でも夢に出てきて、私を叱る。

でも、この世にいないことで、私や私の家族はみな、少なくとも開放されている。

 

そして、クリエイティブなことを高校時代からしていたことで、

己の心と向き合わなければならない。

高校時代から、ビデオ作品を作り、人に取材をし、映像編集をしていた。

取材というのは、人に話を聞くようで、自分は自分自身をものすごく試される。

「本当は私は何を聞きたいのか?なぜ聞きたいのか?なぜこのシーンが必要なのか?」

1つ1つの行動に自分自身が何を考えているのか、全部考えないといけない。

高校時代のパートナーとは、作品を作る上でものすごくバトルした。

彼女とバトルしたお陰で、私は、誰かに責められた時、

嵐を過ぎ去るのを待つために心を凍らせるだけではなく、

考えなくてはいけないということを学習できた。

 

ただ、未だに怒りという感情が苦手で、自分が何について怒っているのか

そもそも怒っているのかを自覚するのが苦手だ。

1,2日くらい立たないと自分の感情に自覚ができず、

人とうまく喧嘩が出来ず、いつも後腐れが出てしまう。

 

パートナーとの作品を作り出す作業はものすごくしんどかったけれど、

自分の心の声を聞く大切さを、すごく教えてくれた。

 

もう1つ大きな出会いは、仕事を辞める頃かもしれない。

仕事は映像の制作会社。

父方の親族は皆全員ACっぽい人たちだった。親族に仕事を辞め、留学とか(現状に限界を感じていたので打開する何かをしたいと思っていたので、とりあえず、留学を考えた)したいと伝えたらそれはそれは烈火のごとく怒られ、徹底的に批判された。

その時、偶然取材で出会った人に、そのことを笑い話のように伝え、

「でも親族に言われたことは絶対ですから…」

的なことを伝えると

「なぜそんなに親とか気にするの?いい子だよね」と

言われたことがある。

その時初めて、関係ない事という発想が生まれた。

そもそもいい子とか、従順とかいう発想もなかったし、それが子供の義務だと思っていた。親(親族)に逆らえば、一生何言われるかわからない、親は絶対、子は親に従うものと思い込んでいた私の心に深く突き刺さった。

 

さらに、同じ時期、仕事を辞めたため、経済的に困窮してしまい、パートナーが一緒に住もうと提案してくれた。当然結婚を視野に入れる相手であったので、問題ないと思い、親族に報告すると、

「同棲するのであればまず親族の縁を切ってから」

と言われ、断固反対、断固拒否をされた。恐れおののいた私がパートナーに結婚を迫るとまずは同棲だと譲らない。それならば別れよう、親族が反対することを行うことは許されない。バレたら何されるかわわらない。そう、怯えた思いで彼にあたってしまった。

 

しかし、その頃2人の関係は順調で、全く別れたい気持ちはお互いなかったので、私は揺れに揺れ、情緒不安定を極めた。それこそ、「別れよう」「やっぱり一緒にすもう」と朝令暮改の日々が続いた。

同棲もせずに結婚なんてありえないと、譲らない彼に、私は結局折れ、一緒に住む準備を始めた。しかし、お互い会社勤めを辞めたタイミングで、賃貸の審査が通らないことがあった。

 

その知らせに残念がる彼の横で、喜ぶ私。気がつけば、彼と言い合いに。何が何だかわからなくなり、混乱状態で泣き出した私に対して、彼は

「親族の気持ちは分かった。君の気持ちは?君は親の意見しか言っていない、君の意思は?どうしたいの?」

その時、私はどう答えたかわからない。そもそも、私の意思を聞かれると思わなかった。もっといえば、親の意志が私の意思だと思っていた。親の意思の先にある、私はいったいなにをかんがえているのか、自分の考えがわからなくなっていた気がする。

 

同じころに、友人にそんな話をして愚痴った時、友人は

「同棲の前に結婚って親(親族)の言い分に従っていたら、今度は子供だよ。要求はとまらないよ」

 

なんだかんだ、周りから

自分の頭で考えたほうがいいんじゃない?

と、アドバイスを貰えていたような気がする。今でも自分の心の声はよく聞こえなくなるのだけど、少なくとも親族を冷静に見れるようになってきている。

 

仕事を辞めて、留学してとか、彼と同棲をとか、言うと親族がそれはそれはひどい言葉で徹底的に私をこき下ろした。たしかに、私の人生設計は、今思い返しても甘いが、(とはいえ、まだ全然ろくな人生設計が思いつかないのだが)「お前のためを思って」の発言が「私達のように苦労をして生きろ」と言っているように聞こえ、きゅうに、この人達を相手にしてたらダメだなと思えた。

 

もともと、私は、高校時代からの訓練、親が死んだことでACから抜けたって書こうと思ってたんだけど、全然その特性もったままだね。まあ、なくならないよね。これからも、訓練していかないといけないよね〜。なんだかそう思ったら怖くなってきた。

 

(本では、母と娘で、私はその本で言えばアダルトチルドレンではないだろうが、共感できる部分はあるという感じですかね。実際の定義はよく私にはまだわかりませんので…)