変えられる不平等を受け入れる日本人の「仕方がない」観
これを見て皆さんはどう思うだろうか?
声楽家の高田正人氏のオリンピックについてのコメントが素晴らしい | More Access! More Fun!
たしかに、なぜか国、選手批判になるキム・ヨナ、浅田真央 両選手の関係。これは不思議でならなかった。変な言い方だが、自分の国の選手に有利になるようにその国のスケート連盟など(具体的に誰かはわからない)の人がロビー活動するのは当たり前のことだ。
責めるべきは我が国のスケート連盟や、なぜかピンボケずれた批判をする日本国民自身だろう。(キム・ヨナ選手本人を責めた所で、何の意味もない)
と、前々から思っていたので、この論戦自体そもそも好きではなかったが、このブログを読んで、やっとわかってくれるやつが来たか。
「そうだ、選手は選手、後方支援は後方支援で、やるべきことをやるべきなのだ…!」と私も、自分の現状に文句ばっかり言っていないで、もっと短く働けるようにどうしたらいいか考えなきゃと、奮い立たされたわけですが…。
そういうことは書いていないで、与えられたフィールドでしゃかりき頑張れって意味でしたね。ミスリードしました。
そのミスリードだったなーと思わせてくれたのがこのブログ。
現代の考察 - 全然素晴らしくない粉飾ヤンキー言説→声楽家の高田正人氏のオリンピックについてのコメントが素晴らしい | More Access! More Fun!
ヤンキーに関する考察は私は深くないので、正直、よくわからないが、この2つの記事を見て、思い出したことがある。
それは、日本人の自然観から派生したであろう、「仕方がない」という発想だ。温暖で、住み良い気候風土であるにもかかわらず、日本列島は、古代より定期的に地震、津波など甚大な被害を受け続けてきた。大陸のように、風土は厳しくはないが、突然深刻なダメージを与えてくる…。
おそらく、日本人の「仕方がない」という思想はそういうところから生まれたのではないだろうか?しかしそのダメージによって、新たに芽吹く命も起こる。(津波が起こることで、牡蠣の発育に、良い影響があるそうだ(「内山節のローカリズム言論」参照)耐え忍んでいれば、恵すら与えてくれる天災。そんな中で、仕方がないと諦めるのが美徳とされるのは、それこそしかたがないことだろう。
この、仕方がないということについて、ドイツ人禅僧・ネルケ無方は『日本人に「宗教」はいらない』の中で日本人の「仕方ない」という発想について触れていた。
『震災自体は仕方がないことでも、原発まで仕方がないことになっている、これはおかしい、原発は人災であって、人の力で防ぐこともできたもの、仕方ないで済まさないでいただきたい』という旨を書いており、そりゃあそうだなと。(詳しくは本を読んで貰いたいが、すくなくともドイツ人には「仕方がない」という発想はないようだ)
フィギュアスケートの不平等は、仕方がないことと諦めていいことじゃないはず。
アスリート自身はその環境の中で、鍛錬するのが目標への一番の近道だろう。文句行ってる暇があったら気持ちを切り替えて、やるのが確かに一番手っ取り早い。しかし、周りの人間も同じことで、ロビー活動なら活動で、選手が有利に動けるように最大限努力する、それが一番大事なんじゃなかろうか。
選手は選手の、後方支援は後方支援の、各々が、己の最もやるべき道を突き進めばいいと私は思う。
いや、そんなかっこいいことで締めたいんじゃなくて、何気なく読んだ記事に、日本人の自然観が現れていて、これは興味深い!と、ちょっと誰かにいいたかっただけなんです。
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