大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

社会人モラトリアム

最近、大学生やティーンズのように人生を悩んでいます。

妊娠のタイムリミットを意識する最初の大きな節目、30歳女子独特なものか、はよくわかりません。じゃあ、さっさと妊娠しろとは言わないでください。

何を悩んでいるかというと、自分が人生において、何にプライオリティを置き、何のために生きればいいのかわからない。金のためと割り切ることもできず、仕事には身が入らない、かといって仕事をしていると家事がうまくできない(能力がないから)。友人関係も大切。金にならないけど、やってみたいとぼんやり思うこともある。変な言い方なのですが、結婚したことによって、初めて自発的にモラトリアムになってしまったわけです。

 

歩んでいたのは誰かの敷いたレールだった

大学時代はもちろんモラトリアム期間ではありましたが、テレビ業界で働くという目標を大学1年のころから持っていました。業界入りのためになるだろうことを、手探りにやっていました。もっと言えば、親の目や経済的な制約があったので、就職以外の選択肢なんて選べなかったわけです。特に、親の目としては、私は高校も、大学も、親の指名した学校に進学してきたわけです。そういう意味で、大学時代の一般的なモラトリアムは「就職準備」期間であり、もしかしたら、本当のモラトリアムというのは、30前後で迎えたのかもしれません。

考えてみれば、ずっと誰かが敷いてくれたレールを歩いてきたわけです。20代後半まで頑張れたのも「どうせ3年も立たずに挫折して帰ってくるんだろ」と親族に挑発されたというのもあり、とりあえず、何がなんでも仕事を辞めない、という思いもありました。(その後、28歳でフリーになる、なんて目標も立てていたものなので、能力的にフリーディレクターをやれるほどではないのに、辞めたい気持ちを抑えるものがなくなり、会社を飛び出してしまった)

正直言えば、28歳まではある程度、計画通りに生きてきたわけです。28歳になった時、自分の能力を鑑みて、業界に向いていないのならすっぱりやめよう。能力があれば続けられるはず、とその後はあんまり考えていませんでした。学生時代に経済的、能力的事情で、先延ばしにしていたやりたいこと、海外留学、大学院進学などもあったが、強い願望ではなく、計画をちゃんとこなすことができなかった(そもそも金もあんまり溜まっていなかった)。

 

30歳で本当のモラトリアムになってしまった…!

さらに、自分一人では決められない割には、ものすごく人生において重要なものを考え始めてしまったわけです。それは「結婚」。一人で出来るものではないし、計画通りにできるものではない。私が、すごく仕事ができて、経済力もあれば悩むこともなかったと思う。家事が疎かになろうが、金の力で解決すればいいし、家のことはやらなくても困るのは私と夫だけ、仕事は私がいないと回らない、と自信を持って家事を放棄出来ただろう。でも、仕事に対する自信もなく、だからといって修行の身だからと人生の100%仕事に捧げようという気にもなれない。家に帰れば、こなせていない洗濯物、掃除が行き届いていない部屋、まともなものを食べさせていない夫が待っている。中途半端な仕事、中途半端な家。

目標が決められず、覚悟も決められず、何のために生きているのかわからなくなる今日このごろ。もちろん、こんな状態で専業主婦になんかになったら、ひきこもりになって、精神を壊すし、テレビ業界が長すぎて堅気の仕事に就ける自信もない。腹を括って仕事も辞めて、ひきこもりになって己ととことん向き合えばいいのでしょうけど、それさえも選ぶことができず、どの方向にも進めず、かろうじて現状維持をする、なんとも情けない状態です。

 

学生時代と社会人は全く違う世界

ダメな自信を失う状態が長く続いています。仕事があればまだ気が紛れるのですが、企画を立てる仕事は、意欲とやる気と自信をとても求められるため、なかなか企画立案に身が入らず、しばしば社内ニート状態です。

自分がなぜこんなにも未熟であるのかを責めてしまう前に少なくとも発想を変えることにしました。大学を卒業するまで、私は、1つのステージを終えたら、次のステージに行くということを繰り返してきて、日本中の同級生が同じ進学やテストの好成績を目指すという同じ目標を持つ「学生」という、よくよく考えれば特殊な環境で生きてきたわけです。そんな、与えられた目標をこなして行けば道が開くという環境から、学生をやめると、「社会人」という環境に身をおくことになります。

恥ずかしながら、学生も、社会人も同じだとずっと思っていました。目標を設定して、それをクリアしていく、その繰り返しで、さらなる高みというか「成長」、「ステップアップ」していくものだと。しかし、「社会人」には誰の目に分かる目標は存在しない。敢えて上げるとすれば、たぶん、簡単に死なないことだ。でもそれを達成した所で、それ自体は誰も褒めてくれないし、評価もしてくれない。

ただただ、成績向上を目指し、偏差値のいい大学を目指す、全国大会優勝、世界を目指すという、わかりやすいゴールは用意されていない。何をもって良しとし、どんな道を歩き、何をゴールとするのか、それは全て自分で設定し無くてはならない。努力が必要ないこともあるし、ただ、立ち止まることも時として正解になることもあるでしょう。

 

学生時代とは違う価値観で自分を見る

私は、学生時代とは違う世界を生きている。だから、学生時代と違う価値観で社会や自分を考え無くてはならないと最近思うのです。

学生時代の価値観で見れば私は最悪です。私は、社会人8年目、学生換算すれば、社会人中2、会社不登校ぎみ、ひきこもりぎみなわけです。目標を設定できず、立ち止まっているわけですから。目標に向かって、走ることもできていない。目指した所で、ナンバー1の近くにいけるかわからないし、評価してくれる親も先生も同級生もいない。専業主婦になんてなったらなおのこと。誰からも評価されないし、孤独になるだけ、もっと言えば、私自身が自分をバカにしてしまう。正直、人生の落伍者です。

でも、社会人の評価軸は絶対的ではない。自分が何に評価点を置くのか?他人に対しては、様々な価値観で評価することが出来るのだけど、今までとは違う評価軸で自分を測ることができずにいます。これまで経験した価値観とは違う生き方をすることにも、とても怖気づいています。それがたぶん、今なのじゃないかな。

と、これ書いてて気がついた。正直なところを言えば、私は誰かに評価されて生きていきたい。「すごいね」って言われたい。皆はどうかわからないけど、そう言われるために、生きているようなものだ。まあ、どんなに言われても、たぶん満たされることはないんだろうけど。全然、まとまらないが、自分の心と向き合って、自分の生き方を見つけていきたいな。

 

 

頭のなかを整理するために、見出しをつけたりしてみた。

私の悩みって就活生のそれと近いものがあると思う。就活の時は「テレビの仕事」一本だったから、働きたくないとは悩まなかったし。就活生は、卒業までに決めないと、とプレッシャーも大きくて大変だと思うけど、その悩みを解消しないままだと、社会に出てもきっと悩むから、大いに悩んでもらいたいと思う。

私は、30歳ですけど、大いに悩み、明日をもどういう気持ちで生きていいかもわかりません。幸せな悩みですね。わかっているんですけどね。何も考えなければいいんでしょうけど、ずっと目標を決め、クリアすることが絶対だと思っていたので、ただ生きる、ということが分からずに苦しんでいます。かといって、私のような体力もなく、根性もなく、自信もない人間に、労働者として1人前働くことは、決して簡単ではないのです。完全に独り身だったり、仕事以外やってくれる奥さんがいればまた違う思想で働けるのかもしれませんね…。

 

ただ、ここまで突き詰めて悩むのは結婚して経済的に困っていない子なし女性だからというのは多少あるかもしれません。

同世代の男性に悩みを打ち明けた時「まだ30だよ、まだまだ未熟者で修行中なんだから、働く以外に選択肢なんてないじゃん」的なことを言われ、確かに、と納得すると同時に、そんなに単純に考えられたらどんなに楽だろう、となにか根本的に見ているものが違うなと思った次第です。学生というのは、妻子を賃金労働によって養う男性に続いていくというものなのかもしれませんね。

ちなみにこんな精神状態で出産したら子育てに自分の評価を見出してしまう、重い親になりかねないので、自分の心と決着をつけてから妊娠はしたいものですね。