育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

母である前に一人の人間

鈴木宗男さんのブログを読んで胸が痛くなった

3月23日(日)ムネオ日記

 

私は人としての心構え、人の道、親としての果たすべき役割は、誰しもが持っていなければならないと考えています。

 この2歳と8カ月の子供を預けたこのお母さんのテレビでのインタビューを聞いていますと、子供のことより自分の価値観で生きていたと受け止めた次第です。

 先ほども触れましたが、以前預けた時は「あざがあった」と今頃言うなら、何故もっともっと慎重にベビーシッターを選び、身元も確認しなかったのか、今尚、私は疑問に思います。

インタビューを私もテレビで見たのだが、私は「母親としての心を持った人で、この人は一生自分をせめて生き続けるのだろうな」とほんとうに可哀想に思いました。

もちろん、よほどの事がなければ、3日間も他人に預けるというような選択は私はおそらくしないだろうが、せざる得ない状況に追い込まれた時、しかも頼る先がかなり限定され、タイムリミットが迫っている場合、やむにやまれず、怪しいと思いながらも「他に選択肢はないのだから…ほんのちょっとだから…」と、不安な自分を押し殺して、その選択をしてしまうこともありえるのではないだろうか?

それは、はたから見れば、無責任と言われることになる。だからこそ、わが子を失った彼女は自分を攻め続けるだろう。

でも、時として命に関わる妊娠・出産を乗り越え、腹を痛めた子を、わざわざ金を払ってまで預けた先で、突然奪われた母親がなぜ非難されないといけないのだろう?

殺された犠牲者の次に大きなダメージを与えられた母親がなぜこんなにも批判の的にならなければならないのだろう?

 

 乙武さん、「『無責任な母親の愚行』で片づけてほしくはなかったのです」とありますが、私は「無責任は母親の愚行」とは思っていません。それよりも、「母親としての心を持っていたのか」と言いたいのです。

母としての心って一体何を想像しているのだろうか?子どもを思う気持ち以外、一人の人間として持つ感情を全て捨てた、100%の母になれ、という意味だろうか?

仕事をしていれば、夢や野心、喜びがあったはずだ。男性は子どもが出来ると、仕事を頑張ろうというのが一般的だ。女性だって、働き続けていたら、しかもシングルマザーなら、仕事を頑張らないと、生活できないから頑張ろうと思い、夢や野心を持つのは当たり前だろう。仕事にかかわらず、生きている限り、趣味や子ども以外の喜びを持っていても何ら不思議ではない。

しかし、子ども産んだ瞬間、そんな妊娠する前の一人の人間は忘れて、母とだけ生きろ、と言いたいのだろうか?確かに、子育てはそれくらいの覚悟は必要かもしれない。でも、私は、そんな覚悟までしてまで、子どもなんて産みたいとは思わないけどね。そういうふうに皆が思うから、少子化になってるんじゃないかな。

どうですか。私はやっぱり、子どもができても、私という人間でいたいと思うんだけどな。

 

よく事件の概要をしらないので、調べようと思う中で、こんなものを見つけた。

ベビーシッター事件で母親ら意見交換 NHKニュース

主催した会社の甲田恵子さんは「今回の事件をきっかけに子どもを預けること自体に批判的な意見が出たり支援制度が画一的になったりして子育ての環境が閉鎖的になるのではないかと心配です。

全くだなと思います。テレビのコメンテーターもネットは怪しいとか、母親責めたりっていう、当り障りのないことばっかり行って、さも規制を強化しろと言わんばかりだが、規制がきつすぎるから(サービスが需要と一致しきっていないから)、ブラックなベビーシッターに頼らざる得ない貧乏な人が多いんじゃねえのと思っています。規制強化は、よりいっそう母親が子育てしにくい環境にし、少子化や、虐待を増やすだけだ。