大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

「アナと雪の女王」から見るアメリカの男女観

※ネタバレを含みますので、まだ見ていないかた、オチを知りたくないかたは見ないでいただきたいです。

 

アナと雪の女王が面白くて、ドはまりしている。

最近のでぃずにーのアニメ(ラプンツェル、シュガーラッシュ)は、日本でも結構根深い問題、「毒母」や「社会的マイノリティ」を少し髣髴させるストーリーが多く、おそらく、社会問題について(無意識的かもしれないが)考察もしっかりなされているのだろうと、興味深いなと興味深く見ていた。

 

今回のアナと雪の女王は、姉妹が普遍的にお互い抱えるコンプレックス(「お姉ちゃんなんだから」というような、先に生まれた方が責任を感じることや、優秀な姉への妹の劣等感など)や、特殊な能力を持ったエルサはまるで、アスペルガーなどの発達障害など障害者の苦悩とも読み取れ、実に人物描写が巧みだと痛感させられた。おそらく、一人の作家だけでなく、多くの脚本家たちによってキャラクターが作られ、そこに、自分たちの経験や思いを重ねているからこそできるリアリティのある人物像ができたのだと思う。

 

しかし、やっぱりこの映画の特殊性はなんといってもラストシーンだ。

正直、ちょっと私は拍子抜けしてしまった。誰ともくっつかないのか、と。

アナは自らの愛、もしくは、エルサの愛によって自らを窮地から救いだした。そこには男性という存在は一切存在しない。個人的にはクリストフはいらねえじゃねえか。とすら思ってしまったのだが、過去、ディズニーアニメで、男の存在を全く必要とせず、己の力で窮地を乗り切ったヒロインはいただろうか?常に、男性の力―キスや、愛、何かのアシストを必要としていた。しかも、今回は、男性の愛ではなく、姉妹、女同士の愛によって、主人公もヒロインも救われたのだ。

このシーンを見た時、女性の立場が、明確にアメリカ社会の中で、変わりつつある、逆に言えば、日本から見ればはるかに男女平等が進んでいたように見えるアメリカですら、女性は男性の助けなしには今まで世界を救うことができなかった、自立を許されていなかったのだと、痛感させられた。

第一に、実は、この映画は、ディズニーアニメで初めて女性監督がメガホンをとった作品だという。

ディズニー映画は性差関係なく、子供たちの娯楽であり、人生のある種、教科書であったけれども、かなりの比重で、女性をターゲットにしているフィルムメーカーではないだろうか?女性向けの映画を多く作ってきて、おそらく時として、その女性像は少女たちにとって、手本となる女性像そのものでもあっただろう。

(個人的な話だが、私にとっても、ディズニー作品の「ムーラン」は、かなり自分と重ね合せるものがあり、あこがれる存在だった)

 

たしかに、とても、アクティブで、自立した女性キャラクターを多く描かれてきたが、今までのディズニーアニメ主題はずーっと男女の愛、それが、多くの基本的にストーリーのカギだ。

もちろん、トイストーリーや、カーズ、シュガーラッシュのようなどちらかといえば、男性(少年)向け映画は男同士(シュガーラッシュは男女の友情)の友情がストーリーのコアだ。

今回初めてではないだろうか?女性(少女)向け映画で、男女の愛よりも、女性同士の愛(姉妹の絆、友情ともいえるだろうか?)がストーリーの主軸になったのは。

※ちなみに、シュガーラッシュにも、今までとは何か雰囲気が違うものがあった。よくよくスタッフをみるとアナと雪の女王の女性監督が脚本家としてさんかしていたそうだ。

 

あくまでもディズニーアニメから見た男女観に過ぎないが、この「アナと雪の女王」を見て育った世代が大人になるころにやっと、男女が平等に近い形になってくるのではないかなと思った。日本でも、アナと雪の女王がうけたということは、もしかしたら少しずつ、男尊女卑が無くなってきているのかもしれないな~。

まあ、そもそも、日本と欧米では、男女差別のメカニズムや歴史がおそらく違うから、十把一絡げには言えないのが。

 

(ちなみにもちろん、みていないディズニー映画もけっこうあります。ムーラン2も、絵のクオリティ低そうだったから見てないし…)