読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

逃げる強さ、逃げない弱さ

ついに、こりゃあいつまでも現実を直視しないでいたらいけないと思い、ついに心療内科の門を叩いた。

案の定というかなんというか、鬱だった。おそらく新型うつ、適応障害かなにかだろう。原因は私にとって明白だった。今勤めている会社だ。

 

環境としては素晴らしい会社だ。

自分がやりたいと思うネタを見つけて、企画にして、それをやればいい。それ以外は特に求められていない。ただ、週6日、会社にいって、1日8時間程度ネタを探していれば、企画が決まらない限り、ロケも編集もない。ロケ、編集があれば、もちろん、労働環境は大きく変わるがそれは当たり前だ。

 

しかし一方で、私にとってはきつかった。

自分のやりたいネタ、だが、要は会社に決まった仕事が無いので、会社の家計は火の車、業界の新卒より安い給料で、社員としての責任、後輩の育成や、企画立案のプレッシャー、会社を担っていって欲しいという期待をかけられるが、正規雇用ではなく、確定申告は自ら行っている。社員としての責任を負いたくないから社員にはならない気持ちだったが、社員としてよく言えば社員として扱われる。擬似家族な関係を強いられ、休みは自由にとっていいと言われるが、休む理由を伝えなくてはならなかった。プライバシーに深く入り込んでくる特性のある会社だった。私は、ネタ探しと、企画立案だけがしたいと思ったのだが、そうはいかない。好きなネタだけやればいいという反面、経営の責任を共に味あわなければないらない会社だった。

 

私のような人間にはきつかった。何がきついのかわからないのだが、自分のペースで働いていいとか、休みたいときに休んでいいとか言われながら、そんなことはない。結局、ルールが未確定なだけで、旧態依然、というか、完全な日本型経営の会社であり、忠誠を求められ、社長のワンマンの会社の体質に耐えられないだけだ。

しかし、だからといって、通常の制作会社であれば、自らの企画立案なんて夢のまた夢。仮に企画が通っても、若輩者の私一人では、完成まで持っていけるか甚だ疑問だ。そもそも一人前のお給料をもらうためには、それ相応に働かなくてはならない。生活との両立なんてムリだろう。そうなると、もはや他の制作会社では勤めあげることはできまい。もう、この会社をやめたら、テレビの業界は辞めざるえないだろう。

 

私はなによりもそれが怖い。テレビ業界と縁が切れることが怖くてたまらない。やっぱり、テレビの仕事では、自分の中の使命感を果たすこともできるし、やはりなんといっても楽しいのだ。そして、業界で知り合えた人たちが私は大好きだ。その人達と縁が切れてしまうのが怖くてたまらない。私にはなにもないから、業界から離れてしまえば、ぷっつりと縁が切れてしまう。

 

そう思うと、心を壊してまでも、この業界にすがりつきたくなってしまう。もう、限界だと、他の道を探す方が正解だとわかっていながらも、すがりついてしまう、すがりついていれば、いつか道が開けるかも、と思ってしまう私がいる。私はこの期に及んでまで、まだ逃げることを躊躇している。

 

 でも、逃げることも必要なんだと、今、少しずつ思い始めている。

社会人になる時、祖父から送られた言葉がある。それは

「ちょっとでもあかんと思ったら逃げなあかんで」

という言葉。

 

祖父は、高度経済成長期のさなか、一代で富を築き、関西では名のある経営者として一時代を築いた男だった。

 

その祖父は、文字通り、逃げることで生き延びてきた。銃弾飛び交う戦場から敵前逃亡し、命からがら逃げ帰り、商売でも、後に倒産する全国規模の大手取引先に啖呵を切って、縁を切り、巻き込まれることなく、生き延びる。

最終的には、その商売も、負債を抱える前に、さっさと店を縮小、方向転換した。財産は殆ど残らなかったが、負債もほとんどなかった。とにかく、あかんと思ったらすぐに見切りをつけ、恥も外聞もなく、逃げられる男だった。

 

私は、社会人になってもずっとずっと逃げない選択肢ばかり取ってきた。たった数年のテレビ業界で培った人間関係をありがたがり、それがなくなることを恐れ、子供時代の夢にすがりついたまま、自分自身が無理をしてすがりついているのは明白だ。

私の理性や、客観的に見ればわからなくても、私の体は、無理だと言い始めている。

よくよく考えれば私は子供の頃から逃げなかった。家庭内暴力モラルハラスメント渦巻く家庭内でも、唯一逃げなかったのは私だけだ。

実は祖父の息子、父からは常々全く逆の言葉を言われてきた。

「一度決めたことはやりきらなあかん、逃げたらあかんねん」

 

父が荒れた夜は、父が家にいる夜は、ずっと自分、そして母に言い聞かせて来たのは、

「必ず朝は来る、耐えれば嵐は過ぎていく」

そう思って、辛い夜も、気が狂いそうな母を支えながら、私は生きてきた。だから、私はずっと耐えてきた部分がある。

 

そんな父は、逃げたらあかんと、何をするでもいう人だった。

モラハラのひどい男だったが、哀れな男でもあった。そして、自分に厳しいがゆえに弱い男だったと思う。彼は逃げないという、逃避をしていたのではないだろうか?

「逃げない」というのは、一見すると、とても強い行為のように見えるが、実は、現状維持をキープする、なんの意思決定もしていないことにもなるのではないだろうか?だって、耐えればいいだけなんだもの。簡単なことではないのだけど、逃げるよりかは楽だ。戦わなくていいから。

私は、父から1度だけ逃げたことがあるが、すぐに見つかってしまった。逃げ方が半端だった。それ以外は、逃げることができなかった。他の兄弟達は父から皆逃げ出し自ら生きる道を探していたが、私は、逃げ出せない事情(私が逃げれば父は母方の親族にどんな復讐をするかわからない男だった)もあり、何もできなかった。

 

逃げないというのは、とても弱い行為だと思う。

 

そろそろ、逃げる選択肢を学習するころかもしれない。大丈夫、子供の頃のように、逃げたからって、脅迫されたり、命の危険を感じるわけじゃないんだから。

逃げることは、一般的には悪く言われている。私も、ものすごく抵抗がある。でも、逃げるって本当はすごく勇敢な行為なんだ。逃げないほうが楽に決まっている、色んな人を裏切らないといけないし、後ろ指も刺される。「逃げない」決断は、誰かと一緒にできるかもしれないけど「逃げる」決断はきっと孤独な行為だ。

 

逃げられる強さを持たないと。