育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

そんなこと言ってるから引きこもりは減らない

ホリエモンの最新作になるのだろうか、ゼロを今更ながら読んだ。

 
ちゃんとホリエモンの本をちゃんと読んだことはないが、印象として読みやすく好感のもてる文章だなと思っていた。
実際、人生の路頭に迷っている私にとって勇気を与え、背中を押してくれる本ではあった。
(余談だが、「稼ぐが勝ち」が出た時はちょうど大学三年くらい。触り程度読んで、親が経営者だったこともあり、私はいつかは起業家を目指そうと思ったりもした。存外ホリエモンの影響を受けた人生をしているかもしれん)
 
ただ同時にこれを読んで、まだ自分というものが定まり切っていない大学生や社会人経験のない人が見たらちょっときついなとも思った。
基本的にホリエモンの主張は昔からとほぼ変わらない。人生の辛酸を舐め、言葉や説明が優しく丁寧になっただけのこと。
働くことは生きることそのもので、彼の存在意義で目的だ。
私もすごく共感できるので、おそらく、ホリエモンの前後の世代の労働者にとって、当たり前の感性なのではないだろうか。
彼は自らの人生を通し、どれほど働くことが救いとなるかを懇々と説く。
だが、この感性こそ、若き労働者にとって、息苦しさの源なのかもしれない。
 
というのも、斎藤環先生が現代の労働にはただ食べることだけではない、社会的地位を伴っていると指摘していたのを思い出したからだ。引きこもりの社会復帰の難しさはそこにもあるというのだ。
生活のために、金のために働くのであればそれこそ新聞配達でも、なんでも、ハードルの低い職種から始めればいいのにと、引きこもりの周りの人間は思う。
そして文句ばっかり言って働かないからダメだと、引きこもりの人を突き放してしまう。
でも考えて見て欲しい、どんな職種についているか、どんな会社に勤めているか、ということがそもそも人間の立ち位置や地位を表すものになってないだろうか?
もちろん今は非正規が増えているが、それでも職種で人を見てしまいがちだ。
そもそも、ここまで豊かになった現代、ただ、食うためだけに働いている人なんていないだろう(シングルマザーとか別ね)。その業界そのものに属すことで満たされる部分があったり、会社に行くことでようやく人と接点が持てたり。
ただ、食うための金を稼ぐだけでなく、働くというそのものに、社会的地位も友人も、恋人も結婚も全部付随してくる。特に男性。
東大を出たり、語学力があったり、帰国子女など、自分に自信の持てるバックボーンがある人間ならいざ知らず、不登校だったり、引きこもりだったりニートだったり常に人から後ろ指をさされ、自信を失っている人間が、やっとついた仕事でも後ろ指をさされやすい仕事に自信ややりがいを簡単に見出すことができるだろうか?従事できるだろうか?
 
ホリエモンは本当に働くために生まれて来たような人だ。でも、働くこと以外で能力を発揮する人もいる。経済的生産性は低くても、何かの分野で高い生産性を発揮する人もいる。(もちろん、ホリエモンも賃金労働や、マネー資本主義の労働にこだわって働けと言っているわけではないのだが、彼はその世界で生き、成功を収めているので、どうしてもその世界に偏った言葉になっている)。
破天荒な我の強い一人の生き方として、ああ、こうやって自分自身に目を背けて、働くことで全部補うようないびつな生き方でもいいんだと、慰められる本のような気がする。(彼は金を稼ぐに必要な能力が低かったら社会不適合者と言われかねない自分を否定せず生きられているから)
そう読まず、表面的なメッセージだけをダイレクトに受け取ってしまうと、引きこもりなど、うまく経済活動ができない人の社会復帰の壁はまた厚くなってしまうなと思った。
 

 

 

 

社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)

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