大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

お金は信用できない

 今、私はあまりお金のことを信用していない。

社会人になって私はなんだかんだお金に関して考えることができる仕事ばかりしていた。
20代前半では株式投資や、FXなど金融関連の番組や公営競技の取材をしていた。特にFXなどのトレードの取材では個人がレバレッジをきかせて億単位のトレードをして一喜一憂している姿を目の当たりにした。
マネーはデータでしかないし、様々なリスクがあり、その価値は簡単に値崩れする。資産を残すなら金に変えておかないと、いつYENも暴落するかわからない、株式投資の取材ではサブプライムショックで、黒字だった有料銘柄もいきなり倒産した。
 
マネーを得るなんてボロいもので、同時に恐ろしく簡単でもある。でも、その金を手に入れられたものが社会を支配するのが、今の世界、金さえ増やせばもっと仕事を余暇的にできるのではと期待していた。
 
そんな矢先に東日本大震災が発生。東京の物流は麻痺。東北は一気に戦後のようになってしまった。
金があれば逃げられる、だけど、やっぱり、東北の沿岸部の映像を見ると、生存に大切な者が本当にお金なのか、大きな疑問がわいた。
金があっても、食い物がないと、死んでしまう。
めっちゃ当たり前なんだけど。
金がなくても助けてくれるもの、それは、結局人であり、地域なんじゃないのか?
子育てもそうだし、防災もそう、一番大切なのは地域のつながり。ずっと、日本人が否定してきたものだ。私も親たちに「今はすごく楽」「隣組の縛りがなく面倒がない」と言われてきた。それはきっと素晴らしいこと。でも、そういって、残さなきゃいけなかった、なにか大切な物も一緒に捨ててしまったんじゃないだろうか?
 

一方、ここ数年は、お金と縁が遠い人ばかりと出会ってきた。

ニート、ひきこもり、自給自足生活者などなど。

特にインパクトが大きかったのが、自給自足生活者。限りなく自由で、そして、限りなく強かった。もちろん、100%自給自足ではない。現金収入もあるが、お金がなくても、食事もできる、娯楽もある、家もある。とにかく、全財産を使いきっても餓死することがない。
それどころか、タダで人を受け入れ、寝食の場を与えるだけの余裕すらある。一体何なんだろう、この差は?
あるひきこもり経験者が言っていた言葉が耳に残った。
「お金は使うとなくなるから、悲しい」
たしかにその通りだけど、お金があるとやっぱり嬉しいのに、どうして悲しいのだろう?と不思議だった。でも考えて見れば、お金は持っていても、何も生み出さない、それどころか、価値はその時々で変動する。下手をしたら、全くの紙くずになってしまう可能性するらある。「お金は悲しい」…不思議と胸に突き刺さった。
 
知り合ったあるニートが面白いことを言っていた。
「お金は意味が無い、大切なのは人だ」
恐ろしいことに、彼はなんの対価も払うことなく、友達が食費も出してくれるし、家にも泊まらせてくれる、服まで買ってもらったことがあるとか!もちろん、それは「彼がその場にいるとなんか、すごい皆がハッピーになる」という天性の才能を持っているからできることで、誰もが真似できることではないのだが、彼は実際、それで生きていけそうな妙な魅力のある人だった。金がなくても、生きていける人が、何気にけっこういる。
 
それなりに金があっても、明日に大きな不安を抱きながら生きている人は決して少なくない。お金って一体何なんだろう?
 
お金は絶対大切だ。今や金無しで生きていく方法はない。でも、お金に依存するパーセンテージを少しでも減らせたら?
人はどんなに寝て暮らしたいと思っても、動かなくてはいられない、何かを創りださずにはいられない。ならば、何かを動くそのアクションでお金を生み出すのではなく、生きる、衣食住のために直接つながる何かをやれば、お金に頼るパーセンテージを少しでも減らせるのではないか?そんなふうに思います。
 
ちなみに、その入門編、実践編として紹介されているのが、この本だと私は思っている。

 

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

 

 

彼の言葉で言えば「生活の自給率を挙げる」だ。

20代後半からの数年間、私は色んな事を学んできた。金を稼ぐ働くことが、生きることではない。まだまだ迷いながらの人生だけど、それだけはわかった気になっている今日このごろ。