大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

直接の原因は結婚式な気がする

鬱というかメンタルの不調の直接な原因は、結婚式だった気がする。

仕事のすごい忙しい時期と、結婚式の準備がもろかぶりして、ちょっと大変だったということと、持ち込み料がかからない場所でやって、ほとんど全部友達に頼んだりと、色んなことを自分で手配したため、通常の新婦よりも大変だったというのもある(無類のお祭り好き)。

ただ、それ以上に、結婚式というのは、なんといっても自分が主役とパートナーが主役だ。「幸せだね〜」とか「いいね〜」とか羨望される立場にある。30歳という年齢で入籍したわけだが、自分がものすごく結婚について葛藤を抱えていたし、結婚できない系の女子と気が合うということもあって(自分も結婚したくても結婚できない属性が強い)結婚報告にはすごく気を使った。ちょっとでも報告が遅れると「何あいつ」と影で言われたりする。まあ、気にしなきゃいいんだけど、すっごい気を使ったわけです。

ともかく「幸せだからって調子に載ってる」と思われているという基本ベースで考え、周りの人の癇に障らないように、気を使った。会社もどのタイミングでいうのか、出席させられない人はどうするのか、とか、それはそれで気を使った。

それ以上に気を使ったのは親族だ。ちゃんと筋を通さなきゃ通さなきゃと、口を利かない兄に夫を紹介するために、仕事の合間を縫って無理やり夫を連れて帰省するも、兄とは国交が途絶えているので(帰省しても私は存在しないようで完全無視される)、一応、夫は他人なので挨拶はしてくれたが、謁見は30秒。夫はその30秒のためだけに帰省に付き合い、夕方の新幹線でそそくさと東京に帰っていった。

皆親族がめんどくさいマイルールを持っていて、彼らのルールに合わせないといけない、どうすればいいのか、何が正しいのか、どうすれば彼らは満足するのか?そんなことに本当に神経をすり減らしていた。

 

んで、いざ結婚式が終わり、お礼のメールを入れても無視。着信を入れても無視。誰も何も行ってこない。友達との二次会のノリの結婚式って感じだったので、親族としては居心地が悪かったのかもしれない。それも気がかりだが、もうやっちまったもんは仕方がないと割り切らざる得ない。でも、やはり、誰にも祝福されていないんだな…と正直、すごく孤立感を感じた。でも、そんなことは、夫には口が裂けても言えない。私はともかく、彼には、私の家族に変な思いを抱かせたくない。

決して関係はなくならないわけだし、変なうちの家庭崩壊っぷりに辟易するのは私一人で十分だ。

もう、一体何なんだろう?というのが正直なところだ。結婚式なんてやらなきゃよかったという気持ちが少し湧いてくる。いや、親族なんて呼ばなきゃよかったという方が正確かもしれない。ただ、そんなことは言えない。夫はもちろん、祝福してくれた誰にも言えない。

仮に言った所で「あんた旦那いるんだし」「そうは言っても結婚したんだし幸せでしょ」って。

理解者はいないわけで、そんな孤立感と、疲労感と、現状への職場での鬱積した不満、そしてなにより、過去味わった大きな挫折からくる自己否定感、自省しすぎてしまう特性がからみ合って、疲弊していったのかもしれない。

(これ書いてて思ったんだけど、だから既婚者と未婚者は分断するのかもね。結婚したって、辛いことは、未婚時代と全く変わらず起こるのに、結婚したからいいでしょと、突き放されてしまう。既婚者、未婚者は、お互いを実は、「幸せ」という観点では大した意味もない結婚という境界線を挟んで、傷つけあっているのかも)

 

と、なんとなく眠れなくて深夜徘徊しててふとそう思いました。