大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

その発想がすでに完璧主義では?

最近、それこそ、心療内科を受けてからなのだが、自分という人間は、繊細で完璧主義者で潔癖な人間ではないかと気がつき始めた。

だが、私は完璧主義者というものが長い間嫌いだった。
何を持って完璧なのか?定義が不明瞭だし、そもそも本当の完璧を目指すことなど不可能だと、完璧主義者を欺瞞だとおもっていた。掃除にしてもちり一つないというのは、あり得ない、空気中の見えないホコリはとることができないし、掃除道具についたホコリはどうするのか…と。

でも考えてみたらこの発想自体、完璧でなければという、完璧主義者そのものなんじゃないかと、思ったりして。
繊細なのは、些細なことですぐ傷付くこと、ずっと隠して、そんな自分を見ない振りをして来ましたが、見ないふりをしたところで、繊細で自意識過剰なのは治らないわけで。

恥ずかしいくらい些細な話ですが、友達と三人のグループで、一人が見れない時間帯に、2人でダラダラ話していたら夜、参加していなかった友達が、読んだ形跡なく、グループから退会していたんですよね。頭ではわかっていつつも結構傷ついてしまい。ああ、迷惑だったかな、怒らせちゃったかな、気にしたらいらっとさせるかな、と、グルグルと。
今考えると、中学生じゃないんだから、操作ミスとか、いくらでも悪意のない可能性はいっぱいあると気がついて良さそうなものですが、
普通だったら恥ずかしいのですが、友人に指摘されるまで気がつかなかったわけです。
繊細極まりない。もちろん、繊細だからこそ人の感情の機微に気づくことができるとも思うのですが。

潔癖に関してはもしや、レベルなのですが、仕事でも自分でも細かい、と思うことが気になってしまったり、する。単純に能力がないから、目につきやすい細かいところしか指摘できないのだと思っていたが、家でも掃除道具を幾つも買ってしまったり、手洗いのついでにシンクを拭いたりする。…まぁ、でも残念ながらズボラで要領悪いので、悲しいかな家は汚いのだが…。
まさか自分が繊細で完璧主義で潔癖とは思いもしなかった。
今まで言われたこともなかったし。実際、真逆の人間なのだが、おそらく、神経質になりすぎているため、無理やりそうなっているような気はする。

私は比較的空気が読めない人間で、なんでかすぐ人を切れさせてしまうことがある。全く悪意のないことをいっていたり、ちゃんと伝えようとしているのに、ブチ切れられる。こちらとしては本当に被害妄想甚だしいと言いたいところだが、手をつけられない。お前その口の聞き方はなんだ!?とか言われちゃう。
え、なんで!?
みたいな。
だから、何が人の逆鱗に触れるのかよくわからないから、もう常に気を使っていないといけない。
また怒らせたかもしれない、また傷つけたかもしれないと、日々戦々恐々。

神経質なのは、家族が神経質で自分はずぼらだから、無理やり神経質になろうとしているのかもしれないなぁー。
なぜ自分が実は隠れ完璧主義者か分からないなあ。昔から完璧なんて無理だとおもってたけど、どこまでやっていいかも分からなかった。そのせいもあるのかな。よくわからんなぁ。

なんかとりとめなくしかかけないけど、そんなことをおもった。