大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

わかりにくい話し方でもいい

この記事を読んでいてふと思い出すことがあった。

「話のわかりやすい人」と「わかりにくい人」のちがい(転載)

 

 私自身も話がわかりやすいタイプではない、というかたぶん、聞いている人からしたら「この人もうちょっとまとめて話せないのかなー」と思われていると思う。だいたい、考えないで話し始めるから、話しながらまとめちゃうしね。緊張してると特にそう。

仕事柄、人とよく話す。人の話をよく聞く。舞い上がっている人は話が下手だし、要領を得ない。まいあがってなくても話し方として下手くそな人もいる。

そういう人と出会うと話を聞きながら、話し手の要点をまとめていかないといけないし、場合によっては(相手の緊張が伝染るのか)私自身が緊張してて、半分くらいしか入ってこないこともあるので、けっこう頭をフル稼働させないといけない。

だからけっこう困るし、話が旨い人に出会うと関心する。だからできれば皆話がうまくなってほしいと思う。テレビ的にも、話下手な人は「うーん、使えるかなー」となやんでしまうし。

 

ただ、それも含めて味なのだ。たしかに、話がうまいほうが感心するし、頭がいいんだなと思うんだけど、話が下手でも、じっくり話を聞いてみると、ああ、この人すごい深い考え方をしているんだな、普段この手の話題をうまく相手に伝えることをしていないんだなとか、その人の人となりというか、生き方が見えてくる。

だから、話し方が下手でもきにしなくていいとおもう。それがその人の魅力だったりする。もちろん、企業の説明のシーンでは、整理されて話さないとテレビ番組で使えないというのはあるが、とても個性があれば、話がうーん?でも、やっぱそれは面白くなる。多くの人と話す中で、別に話が下手でも、ちゃんとその人の個性が見えてくれば、なんだっていいとつくづく思う。

しゃべりに苦手意識があるからって、なんかのセミナーで通り一辺倒の話し方をされてしまったほうが、個性が隠れて「こいつだめだな」と思う。個性を隠すトレイニングを脱ぎ捨てて、素の自分で話し始めてから、やっと魅力が見えてくるというものだ。

まあ、個性って、人を選ぶから、やっぱり、受けが悪い個性で生まれてしまった場合、理解者は少なくてちょっと寂しかったり自信を失ってしまうかもしれないけども。でも、ウケが悪い、理解者が少ないっていう理由で、自分の個性を隠してしまうのは、やっぱりもったいないと思うよね。

色んな人がいるから面白いんだもの。

 

テレビ業界は嫌いだけど「おもしろい」と誰かが判断できれば、何でも受け入れるという土壌があるのは、この業界のいいところだなと思う。