大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

労働の概念が狭すぎる

なかなか面白い視点を持っていて、よく読むブログで、こんなことが書かれていた。
今後はせめて人権が守られ、寿命までほそぼそと心やすく過ごさせてくれればそれでいいのです。もう、自分に合う仕事がきっとあるはずだなどという妄想話にこれ以上付き合わされるのは、こりごりです。
この記事を読んだ時、この人普通に無償のライター業やってるようなもんなのに、何言ってるんだろうか?と思ってしまった。
ブログが下手くそで雑な私からするとええ仕事していると思うんだが…。
たぶん、この人はすっごい優秀で、男らしい人なんだろうなとつくづく思います。
だって、金稼ぐ=労働としか思ってなさそうだから。女性が主に担っている金にならない労働のことは発想から、すっぽり抜けている。

労働の概念が狭すぎる。それがきっと主に男たちを苦しめている。
私は人が生きることと労働、働くことは切り離せないことだと思っている。
その労働とは金を稼ぐことではなく、生存していくためのすべての行動。家庭菜園も、育児家事、日曜大工などなど。

金銭を稼ぐための労働はあくまでも資本主義経済で生きていくためのもの。それしかやらなくて本当にいいなら多分人類は滅亡するんじゃないかなと思う。

子育ても、家事も、通常は金銭的価値を生み出さないが、生きていく上で、必ず必要となる労働だ。もっと言えば、ブログを書くということさえもお金にならない労働と言える。ブログという他者とのコミュニケーションをとることは社会的動物である人間の生存には欠くことのできない行動だと言えると私は思う。

マネタイズ出来なくても、人間が生きていくために必要なことはある。ただ、社会がそれをさほど価値があると、認めていないだけなんだと思う。だから、必要なことなのに、そういったことは軽視され、それしかできない人は見下される。経済活動しかできない生活力がない人は見下されることはないのに。

無業者とは、金を生む能力がない人(しかも、その能力は日本ではどんどん狭くなっている)、金を稼ぐ仕事をフルタイムで働けない人、社会から無能と烙印を押され、そう自認してやる気すら起こらない人全部をひっくるめているのだろう。

結局金か、と批判しているが、結局金で判断しているのもこの方ご自身も同じではないかしら、と残念に思う。もちろん、男性は批判の矢面に立つことが多いからそうならざる得ないものなのだとはわかる。

誰かの役に立ちたい、なんか作ってみたい、それだけで労働にはなると私はざっくりと考えている。

というか、男性は特にそう考えられないから、辛いんだろうね。女性も徐々にそうなりつつある気はする。

まぁ、私も、専業主婦?冗談じゃない!と思ってしまうから、同じ穴の狢なんだが…。

マネタイズできる労働だけが価値がある、という概念が変わらないことには男たちの苦悩は続くのだろうな。

たぶん、男尊女卑、ミソジニーとも結びつくことだと思うから。女子供のために金稼ぐのが当たり前、的な。


本当に世の中金だけじゃない。金だけに固執してたらマジ人類滅亡するわ。経済活動から見たら育児とかマジ非生産的だし。


本当は金銭がらみの労働はそんなに気合入れてやらなくても生きていけるインフラは整っているのだから、生存と種の保存のための労働に情熱を燃やすフェーズにいると思うんだが、社会構造は未だに、インフラを作り続けることで生存と種の保存に繋がるようにしかできていないんだよね。