大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

テレビ屋だからそう思うだけのこと

 


<「日本人全員大卒」は理想なのか>高卒就職を魅力あるものにすることも大人の責任

 

 この著者は放送作家さんだそうで…。

まあ、作家さん(テレビ屋)じゃあそう考えても仕方ないなと思います。

テレビ屋さんはけっこう実力主義です。あ、現場は。

別に学歴とか、あんまり関係ありません。もちろん、制作会社に入るには、学歴が必要だったりしますが、専門卒で会社作ってる職人気質の技術さんはザラにいらっしゃいますし、ディレクターも、学歴はあまり関係ありません。

あえて大学の教授なりを取材する時に、大学卒の方が勝手がわかるし、話も合いやすいというところではないでしょうか。

全く関係ないとはいいません。優秀な編集マンの知人は、局の子会社の取締役に高卒(専門卒)だからなれない、とも言っていたりするわけです。

この業界にいると、高卒から始めたほうがいいんじゃねえの、と思うのは仕方がないと思うわけです。

 

コメントで「まずマスコミから高卒とれや」というツッコミがあったのを見て、「マスコミは門戸実はけっこう広いという実情を知らんのだろうな〜」と思ったりしたわけです。

ただ、私はやはり学歴、というより大学に行くのは必要な通過儀礼だと思っています。それは肩書とか、モラトリアムとかいうのではなく、人間関係が広がる、という意味で。

取材で出会う人で、大学時代に起業したり面白い人とつながっている人は、やはりそれなりに大学名が通っている人が多い。私は思うのは、個人個人に自信が着くとか、肩書が大事だという以前に、優秀な仲間を作る場として大学はものすごく機能的だと思うのです。

それに変わる何かを持っていない人はきついでしょうね。

逆に言えば、ネットなり、自発的に行動して優秀な人が集まる場を持っている人には、大学なんて必要ない。逆に、学がないことを武器にもできるかもしれない。それこそ、クソ優秀じゃないとできない代物ですが…。

現状、社会の仕組みが大学くらい出ていないとお話にならないという社会構造担っている以上、大学全入を否定することはできないのではないでしょうか。