大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

畑でできたものを食べて見えてきたもの

私が契約している市民農園は、家から徒歩1分ほどのところにある。週に1度くらい畑に顔を出している(本当はもうちょっとまめにかおだしたほうがいいんだろうけど)

その気になれば、食事の前に畑に行って、野菜を取ってくるなんてこともできる。今うちの畑で育てている野菜は、

水菜、かぶ、白菜、レタス、わさび菜、からし菜、ブロッコリー

など。

主に鍋料理、サラダに使える野菜ばかりだ。

前回書いたような気がするがその農園は有機農法にこだわっている。その意味では、安心安全なのだが…。

こういっちゃなんなんだが、自分が作った野菜に全然安心できないのだ。有機とはいえ、土で育てている以上雑菌まみれだし、素人が作っているから、どんな病気にかかっているか、どんな虫にくわれているか、適切に判断できているわけではない。(もちろん、株式会社監修の下作っているので、そんなに危険なことはないのだが)

スーパーで買ってきた野菜よりも丁寧に土を落とし、傷んでいる箇所がないかチェックする。いつもだったらパッパッパって適当に洗うところを、1枚1枚チェックするくらいの感じで洗い上げる。それでもどこか、「これ、生で食べて大丈夫かな…」と心配になる。

こんなふうに食材と向き合ったこと、なかったな〜としみじみ。

きっと、人間は、口に入れていい食材かを逐一チェックし、丁寧に体を壊すリスクを抑えながら、脈々と生きていきたのだろう。そんな行為が稀になりつつある現代っ子には、感慨深い作業だが、これを毎食毎食障害やり続けなくてはいけない時代だったら、クソだるかっただろうなと。

今以上に、作って売ってねーかなーとか、誰か料理してくれないかなーとか、細菌とか虫とかのリスクを何も考えないでいい食材ないかなーと思ったに違いない。

何も考えなくても安心して食べられるものを求めてすぎた結果が、防腐剤やらなんやら色々ぶっこみまくってる現代社会なんだろうなと。

もっと言えば、求めすぎた結果、結局全然食材と向き合う機会すら失ってしまったんだろうなと。(普通のサラリーマンは食材にじっくり思い馳せることないと思うし)

 

そもそも、野菜ってそんなもんなんだと思う。買ってこようが、自分でつくろうが。ちゃんと、調理する人、食べる人が「これ大丈夫かよ」って心配して、時には必要以上に捨てたりして、自分の自己判断で食材の安全性を確かめる。

今はそれを賞味期限を作ったり、小売業者に責任を取らせたりして回避することができる社会になってしまった。(もちろん責任はとる必要はあるとは思うが)

別に昔のように自己判断することがいいこととは思わない。リスク回避するシステムは多いに越したことがない。ただ、ついついそのシステムによりかかりまくって、自分の舌や目で、食材を判断する能力や努力を怠ることはいいことではない。

まあ、そんなずぼらな人間は私くらいなものかもしれないけど、自分の体、自分の口に入れるものにもっとちゃんと感心を持ったほうがいいと、思ったわけです。

 

西友がド生鮮にこだわっていたとしてもそれに甘えていちゃいけないよと思います。(このCMのまとめをアップしておきます。もう見れないようだけど。西友のCMは癖になるけど表現が差別的でちょっと悲しい気持ちになりますね…)


じわじわ笑いが込み上げる。西友【SEIYU】のCM集 - NAVER まとめ