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育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

浮気をする人は浮気相手を一体なんだと思っているのだろう?

オタキング岡田斗司夫さんがなんだかえらい大炎上しているらしい。


岡田斗司夫氏、“愛人リスト”流出で謝罪 - 芸能ニュース : nikkansports.com

実は最近、ふと浮気について考えていたことがある。厳密には不倫についてだが、岡田さんが愛人リストで炎上したことで、便乗してみようと思う。

突然だが、私は人妻だ。

まぁ、人妻というのは、人の妻、人イコール特定の男性の妻、所有物を表す言葉の含みを持っており、率先して使いたくもない言葉なのだが、そこにはなんとも言えない淫靡な響きがあって、嫌いにはなれない。
なんとなく、肉便器と類似する、あえて女性を男性の性処理の部分を強調し、無機質にすることと、「人妻」という、一見すると性的な表現が含まれていない文字の並びがまた隠すいやらしさがあって、何か興奮させるものがある(その言葉が表す性の対象である女性の私が興奮するのもちょっと変な話だが)。
 
あえて、私が自らを人妻と名乗るは、わたしは特定の男の女であることを強調したいからだ。
だが残念ながら、私は男のものでありながら、心の中で結構別の男性にも恋をする。
世間話や旦那のノロケ話をしながら頭の中では「あーやりてー」「どうにか押し倒せないかなー」とか、様々な手段を手に相手の体をゲッツする方法を模索する。
だが、もちろんそれが実現されることはない。
 
なぜならば一つには夫のことが世界で一番好きで失いたくないというのがある。申し訳ないと思いつつも、心の中でほかの男性にきゅんとするのは抑えられないし、相手への不義ではないと思う。
ただ、それを実行に移すことはパートナーをどう考えても裏切ることになるとしか思えない。私が同じことされたら悲しいし。自分がそんなことをしてしまったら、もう夫を愛することはもうできないような気がする。
 
でも、もし、きゅんとする人を、夫がいながら誘ってしまったら、私は大切な友人を、ものすごい侮辱して傷つけてしまうような気がする。
パートナーと別れないまま関係を結ぼうとするということは、
「旦那より好きじゃないけど、お前のチンコはほしい」
もしくは、
「旦那からはなれるつもりはないが、お前もほしい」
という超自分勝手な主張をしていないだろうか?
浮気というのは、全方位に人を傷つける行為な気がする。もちろん、フリーセックスの社会倫理(二股は何の罪悪感もなくできる倫理観)があるのならいいけど、同時並行はしないのが社会倫理な以上、その倫理観で相手に接するのが、相手への愛情表現になると思う。
 
妻が女に見えない、とか、家庭に居場所がない、夫が相手をしてくれない、夫を、妻を見返してやりたい、そんなパートナーへの当てつけで行われることもある不倫は、不倫相手を侮辱していることに他ならない。そんな不倫相手の人間性を踏みにじる行為は絶対しちゃ行けないと思う。
逆に「夫(妻)とは経済的、家庭の事情で別れられないけど、本当に愛しているのは、不倫相手」というのもやはりかなり自分勝手だ。不倫相手の家族や経済状況はどうなるんだ、そちらへの責任、誠意は?と思う。
本当に愛情を持っていたり、愛情がなくても異性(他者)を一人の人間と考え、接していたら、不倫や浮気なんてできないはず。
 
なんか、自分が不倫できる立場になって、やりたいとおもう男性が表れて、そう気がついた。
 
岡田さんは、女性のことを自分と同じ人間だと思っていないんだろうなと思う。だって、自分と対等な、同じ人間に対して、そんな侮辱できないでしょう。倫理観がぶっ壊れているか、女性は侮辱していいと思っているかどっちか。なんとなく、後者な気はする。
しかし、愛がないセックスして楽しいのかね。気持ちよさが違うと思うのだが。