大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

悪口とうわさ話はコミュニケーションのスパイス

つくづく思うのだが、悪口とうわさ話はコミュニケーションにとってかなり重要なものではないだろうか?

世間一般はどうか分からないが一番盛り上がる話題の代表格は恋話だと思う。
特に、別れたとか、告られたとかの話の面白さはテッパンだ。
それはなぜかといえば、やはりコイバナは悪口とうわさ話の集合体だからだろう。
恋愛対象の人への空想やあんな誘い方アリエナーイなどの悪口だ。

そういった悪口うわさ話のタネを持っていない友達とするのはダイエット話と病気の話、ようは健康の話だ。
それが尽きた時、女友達3人と美味しいねお腹いっぱい、以外のフレーズが出てこない無言のランチをしたことがある。おしゃべりと言われる女が三人集まってただ静かに飯を食べる姿はさすがに異様だと思う。
確かに特別仲がいいわけではないが、ちなみに大学時代からの友達で定期的にあっているし、仲は悪いとは言えない。

ただ三人とも悪口とうわさ話の話の炎を燃やすガソリンが不足していただけだ。
必死に拾い上げたのが、資格の勉強しすぎて家でエコノミー症候群になった話や、働きすぎて、軟骨のカルシウムが不足してヤバいことになったとか30代前半にしては悲しい話題しか燃え上がらなかった。

私はジェンダーや民間療法の話には熱く語れるが、自分から誰かの悪口を言うのは苦手なのだ(それは悪口を言えない清廉な人間なのではなく、悪口をいう引き出しがすごく少ないだけ。
ニヤニヤしながら悪口(特にセクハラ親父)への悪口は大好物だ。)

だが、私は身内の中で悪口を言い合うマッチポンプ式の悪口コミュニケーションは苦手だ。

仲良くいつもつるんでいるのに、なぜかその人がいないところでその人の陰口を叩くというやつだ。
学生の頃は友人や仲間をあまり選り好みできかったので、そういう人を見る機会があった。まぁ、学校というのは特殊な空間で、嫌いな相手ともそれなりの関係を築かなければならない場所なのでいたしかたないし、それもある種の友情なのかもしれない。だが、どうやら、そんなコミュニケーションを学校の場以外でもどうやらあるらしい。

やはりあれか。
みんな話題に飢えているのか?20代半ばからはそろそろ恋愛ネタも底をつき始め、だがまだ健康ネタに移行するにはアイテムが少な過ぎる。
ならば仲間をネタに悪口で場を持たせようということか。
ちなみに、私は旦那ともよく無言のディナーしてますが、旦那とはテレビ番組の悪口、会社では社会への悪口言ってます。友達と共通の友達の悪口を言うときはその友達のことを好意的に捉えてないと言っててすごく気分が悪いので、ただただ不愉快なだけ。オチもないし。だから、オチがない悪口は好きじゃないです。

そう考えると、悪口を気分よく言えるというのは悪口を言う相手への信頼関係があってこそできるものなのかもしれないなー。
うーん、悪口って奥が深い。