大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

私は君が悪意がないのは知っているよ

当事者からも賛否両論がある、渋谷区の動き。
なんとなくなんだけど、これが、きっかけで、婚外子、私生児の権利の確立にもつながればと思い、友人の前で、異性にも広がればいいね、的なことを言った。
するとその場にいた友人2人は同じような口調で、
こういうことが広がると悪用する人が出るからさ…と。
ん?悪用って何を想像してるんだろう?
いや、まぁ、どう悪用されるかわからないし、私もどう繋がるかわからないけど、結婚していない間にできたってだけで権利を侵害されている人はいるんだよね的なことを言っても2人は、婚外子って何?ってかんじだった。
しかも、更には全てのルールには意味がある、意味がないルールなんてないんだから簡単に悪く言っちゃダメだよ。と説教をされた。
知ってますがな。でも、世の中は常に変化し続けて、ルールが対応できなくなることもある、ルールに権利を侵害される人もいる、そのルールが本当に必要か考える必要がある、と言っても2人は納得する様子がなかったので、私は話を変えた。

何故だろう?悪用の明確なイメージがないのに革新的な発想に懐疑的になるのは?
正論を言う2人に悶々としたのだが、そもそも、男尊女卑だって、極めて合理的で、倫理的なルールだった。
衛生的、防犯上で、不安材料が多い近代以前であれば女を囲い込み、支配することの方が、放任にするよりも様々な理由で女性の心身を守れたのではないだろうか?
友人の言う通り、意味のないルールなんて一つもない。ベネフィットを生むため、ルールには必ず制限が存在する。
男尊女卑はベネフィットよりも制限の方が比重が大きくなってきたから忌避されるようになったのではないのか?
それでも、男尊女卑は守られるべきルールなのか?
彼女たちの論理で言えばそうなる。

人は考えることを避ける。様々な意思決定をしなくていいように様々なルールで自分たちが問題なく生きられるように制限をかけることに慣れすぎている。

ルールを変えることに何の考えもなく消極的な友人たちを見て、こういう人間ってコントロールしやすいよな、と軽く引いてしまった。

というただの愚痴。

正直、渋谷区の施策に自体にはあまり意見は持ち合わせていません。漠然といいことだと思うけど、ぱっと見いいことというのは、以外と落とし穴があるものだから、すぐには手放しに評価はできない私です。