育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

人は人でしょ

私はアメーバのIDももっていて、今は放置しているのだが、時々ログインしてはお気に入りのブログを見ている。

んで、たまに見出しの下世話に惹かれて、ガールズトークなる、クソくだらない愚痴のはきだめを見ることがある。

見る度に「どーでもーいいー」とか「馬鹿なの?」と疲弊した気持ちになる。

一時はあまりに悲惨な状況の人とかを見てそれは法律家に相談したほうがいいのでは?と必死に書き込みしたりもしたが、よくよく考えても、そんなところに書き込みしてくる人は根本的な解決ではなく「私って可哀想でしょ」という同情がほしいだけで、真面目に書くと逆に引かれるだけやんと気が付き、もう辞めた(私こそバカだったのですね)。

でも、やっぱりついつい気になって見てしまうことがあります。

最近見たもので、「妊娠の度に友達を失う」という女性のもの。

最初の子を身ごもった時は「自分と同時期に流産した子に『幸せオーラうざい』と言われて連絡取らなくなった」とか次の子はつわりで飲み会断ったら連絡取らなくなったとか、だ。

いや、そもそもなんでそういうことが起こるのかが全然わからないのだが、流産したことが一応はある私としては、なんとなくわからないこともないのである。

いや、流産した同時期に妊娠した子を恨めしくなんてもちろん思わないのだが、

(つーか、そもそも流産それ自体には何の感情もわかなかった)

流産する前、妊娠がわかった直後、荒みきった友達が深夜突然遊びに来て、我が家で「なんで子どもができないんだ…!」と号泣した時は「さすがに、中出し一発で出来たとは口が裂けてもこの状況ではいえんな、子どもが出来たことをどのタイミングでいうかねー」と思ったことはある。まあ、その後無事流産したので、その件に関してはよかったのだが。

(その子は、跡取り問題から両家の親から相当プレッシャーを受けていた)

 

妊娠というのは、男性のちんこのでかさ、勃起、早漏、遅漏と同じくらい人間の尊厳っつーか、プライドに関わる事案と思われる。だからそうやって人と比べてしまうことは必ずあるとは思う。

が、やはり、色々な条件が違う(パートナーとのセックスの回数、母体の心身の健康状態)が異なる中で、単純比較するというのは、他に、価値基準があまりにないと思わずにはいられない。

推測だが、「女は男がいてなんぼ、子どもがいてなんぼ」という価値基準しかない世界に生きているのだろう。私のように「ディレクターとしての自分」「職業人としての自分」「いくら稼げるかの自分」の方が圧倒的に大事な場合、どうでもよく思えるのだが、「徹夜が屁でもなく、撮影アイテムを現場の進行状況やカメラマン、演出の意向通りにセッティングできる優秀な後輩AD」には、一つとして勝てる要因がなく(でも社歴は私のほうが2年も上だった)、無意識レベルの嫉妬を発動したので、「男」「妊娠」が最大の自分の価値を決める最大要因であるならば、嫉妬の対象となってしまうのは致し方がないかもしれない。

ちなみに私はもう誰とも自分を比較するのはキツイので、「会社組織には属さない」「比較対象になる人とは競わない」という無意識的に生活をチョイスしているような気がする。だれかと比較すると、ただ疲弊するだけであんまり能力を身につけることにメリットがないと思う。切磋琢磨しあえるのは、そこに、無駄な嫉妬がなく精神的に楽しめるバランスが保たれている時だと思う。

まあ、休職する前は、業界歴50年の大御所カメラマンやら、世界的な賞にノミネートされまくってる50代のディレクターと自分を比較して絶望していたから、ちょっと病んではいたんだろう。そこと、業界歴10年未満の私を比較してなんになるのだ。

改めて自分に言い聞かせよう、人は人、自分は自分。違って当たり前なのだと。