読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

マウンティングをされると心が磨耗する

コミュニケーション 働く事

(ちょっと加筆修正しました)

なんか、話すたびになぜかマウンティングと思われることをする友人♀がいる。

 
なんだろうか?マウンティングをされると心が磨耗する。
一瞬瞬間的にものすごく、は!?なんなのだ!?なんでそこまで言われにゃならんのだ?とイラッとする。
単なる老婆心なのかもしれないが、ちょっとした不注意や無知を晒すと、鬼の首を取ったように「別にいいけど、それはないなと思い、既読フリーしました」「フリーランスになりたいなら、それくらい知ってないと恥ずかしいですよ」
といちいちチクチクうるさい。
学級委員長ですか?
 
しかも、指摘は正論なので言い返すこともできない。おっしゃる通りですね、でもなんでそこまで言われにゃならんのやろか?と思いつつ、何も言い返せずモヤモヤする。
なんだかんだ老婆心だとは思うのだが、すごいバカにしてくるのだ、なんでそんなに私を見下すのですか?とイライラする。
ただよくよく話を聞いてみると、どうやら何か劣等感の塊のようで、端々で人を見下さないと何か保てないようで。
その辺の感覚を思い出すと、ムカムカしつつも、張り合うことでもないなと。
(ただただ不毛でしかないな、と)
 
しかし、これは彼女の特徴ではなく、東京で働く人々全般に言えるのではないだろうか?
欠点、失敗は許されない、やるからにはちゃんと自分で調べて、しっかり、完璧にやらないと、できない奴の烙印を押される。
ダメなところは先回りして完璧に、代わりはいくらでもいる。
色んなものを比較して、自分も他人も何もかも相対評価で。そんな仕事や人間関係の習慣なんじゃないだろうか?
私もそんな環境にずっと身をおいていたわけで。ずっと完璧に、優秀なワーカーでいようとしたわけで。
ただ、残念ながら優秀なディレクターというのは、誰が見ても優秀なワーカーではなく、自分の面白いと思うものに率直な人間で、そのためには空気も読まないし、人の話を聞かなくても、ただただ面白いものを信じきり、周りの人々を導くことができる人が優秀なディレクターだったわけで。
優秀なワーカーではいい番組は作れなかった。誰もが認めてくれても、番組が面白くなければ意味が無いからだ。
私は、ADからディレクターになりかけているこの数年、周りの先輩演出陣にこんこんと「お前がやりたいことが見えない」「誰にでもいい顔をしすぎる」と、「優秀なワーカー」の仮面を脱ぐことが出来ないことを指摘され続けてきた。今やっとそれに気が付き始めているところだ。
 
東京で働くと、簡単に完璧主義に陥り、鬱に陥るのもよく分かる。
相対評価、完璧に、抜け目なく、じゃないと相互に監視し合うのが普通なのだろう。
彼女はそうやって周りに監視され、鍛えられている環境で楽しみを見つけ、それなりに楽しくやっているのだろう。そう、彼女は、自分の欠点をうまく隠し、社会、会社から求められる仕事をきっちりとこなすことができる優秀なワーカーだろう。
 
だからこそ、そうやって人の揚げ足をとって嫌みたらしく、指摘するマウンティングを、半ば老婆心で行うのだと思う。そうやって相対評価の世界で生きている人間から見ると、私のような人間は突っ込みどころが満載だろう。ただ、私も相対評価の世界で長らく生きていたので、そうやって、見下されるとムカッとして、ついつい本気で落ち込んだり、人間失格、死にたいと思ってしまう。
 
きっと、私もそんな嫌なやつだったのだと思う。
そんな風に誰かと相対評価する自分が嫌だったし、そんな評価に耐えられなくて、違和感も感じて逃げた。
 
 
私は完璧なワーカーにはなれないし、そんな世界で日々切磋琢磨するビジネス界の人たちと同じ土俵では勝ち目はない。
早く私も負けを認めてしまえばいいのに、と思う。
そのためにも、足蹴にされても涼しい顔ができるだけの私の世界観を作らねば。
まぁ、焦っても仕方がない。ダメなものはダメなものと認めて、目の前にある、私でもできる仕事を淡々とこなすだけですけども。ね。
 
いろんなことができない、ダメな人間、だからこそ、わかる世界も、見える世界もある…はず。