大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

ゼロかイチかしかないと思っていないだろうか?

マウンティングの傷が言えない土曜日の朝を迎えております。

お仕事様があるおかげで悶々と考えずにすんでおりますが、仕事がなかったらたぶん、布団から起き上がることができなかったのではないでしょうか。それくらいの精神的ダメージを受けております。

マウンティングをよくされるのだが、その子とは腐れ縁で、考えてみれば20年近い付き合いだ。だからこそ、価値観が変わる前の私と同じなので、付き合いにくいというのはあるのだが、それだけ長くつきあっているとやっぱり嫌いになれないし、むしろ好きだったりする。すごく傷つくけど、縁を切りたいという気にもならず、かといって、面と向かって殴り合いのけんかを起こせるほどの信頼関係もない。ゆるいつながりだ。

ただ、弱気になって、一度人生相談をしたことがある。そのときもこてんぱんにバカにされたのだが、考えてみるとなんでそこまでバカにされなければならなかったのだろうか?と思う。

起業をしたいというか、まあ、会社員をしたくないから、起業しか道がないと今でも思っているが、そのときは発想が乏しくて、会社員をやめたら、会社を起こすことしかわからなかった、ろくな能力も、根性もないのに、なにかしなければとあがいていたのだ。

そんな私がサラリーマンとして実直に生きている彼女から見たらさぞや不可解で、こっけいで、みじめだったようで、「何がしたいかわからない」「そんなに無知でなにをえらそうなことを言っているの?」的な論点で色々とちくちくバカにされた。

彼女が言っていることは「素人の私でも「なるほど、これはいける!」と思えるもの以外は失敗するはず、お前みたいな無知な人間が挑戦するなんてアホか、そんなに会社勤したくないなら、お前は黙って専業主婦でもしてろ」というだと思う。

100%事業家としての成功者以外はくずに見えるのだろうと思うのだ。

誰しも最初は、素人で、無知で、挑戦の過程で、自分の中にある「何か」に肉付けをしていくものではないだろうか?私は、すくなくとも彼女に相談を持ちかけたときより、少しは成長して、いろいろなことを分かったが、無知ながら、試行錯誤をした結果、今があると思っている。

思い出すのは、ニート、引きこもりに対する目線と似ている。

「なんでもいいから働け」というわりにはいざ働けば

「そんなこともしらないのか」

「お前みたいやつに仕事があると思ってるのか、無能なんだからやめろ」

とののしられる。

そして、引きこもりの人も、そういわれるのを分かっているから、何の準備もできないから動かない。だけど、動かないと、わからない、何が分からないかさえ、理解できないこともあるんじゃないかな?

ひきこもりの最中、社会の中で必要な、コミュニケーション力、対人関係を築く経験、社会性、人間関係を生活保護費、障害年金を糧に築こうとすると「遊んでる」とののしられ、慎ましやかに無能なゼロでいることを求められる割に、

働いたら、社会人として人間関係も仕事もそつなくこなせる1を求められる。

 

ゼロをイチにするのは、そんなに簡単なことではないって、わからないのかな。

 

今の時代、ググればすぐに、イチ、完璧なものがでてくる。

ゼロも簡単にでてくる、ゼロもイチも同じ人間で、その過程があることをついつい忘れちゃうんじゃないかな。

ゼロであがいている私をバカにしないでほしい。

どんな形のイチになるかなんて、ゼロの時点ではわからないんだから。

 

と、今日も悶々として仕事に手がつかない…。あーあ。