大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

フェミもミソジニーも怖い

ひきこもり気質の知人と飲んでいる時、その人がフェミニストのツイッタラーに絡むのが好きだと言っていた。
ちなみに知人は男性。
ひきこもり気質でそんな自分を受け入れている人というのは、弱さや痛みを知っている分、弱者としての女性に対して、優しい眼差しを持っている人が多い。
ひきこもる男性というのも、男たるもの働け!という価値観にある種振り回されている部分があるので社会の仕組みに苦しめられているもの同士どこか優しくなれる部分があるものである。

私が彼との会話の中で、とかく30前の女性というのは、結婚に追い詰められやすいとか、私の周りのアラサーは守りに入っているようで、なかなか結婚に踏み切れない、だけどけっこういい女がいるという話をした。
その時に、ツイッター上のフェミニストがそんな話を聞きつけたら、炎上するよ、決めつけるなーって、性差の決めつけに対して目くじらをたてる様をネタにしていた。

もちろん、個人差を無視した決めつけほど危ないものはなく、社会学は偏見による部分は多いのでは?と思うところはある。
だが、少なくとも、現代この日本で生きる多くの結婚適齢期の人間が結婚という枠組みにある程度の共通認識を持っているはずだ。(多くの人は結婚して子供を育てる事が人の喜びだという、広告やアニメ、ドラマを見聞きしており、教師、親からも刷り込まれている)
ある程度持っているにしても、ある程度決めつけは起こっても致し方ないというか、個人を見るとともに、ある程度日本人男性女性のカテゴライズは必要な事と私は考えており、フェミニストだかなんだか知らないが、大局を見る目がないんじゃないのか?と思った。
そして、そもそも、ツイッター上のフェミニストとは一体どんなものなのか?とも。
(まぁ、そもそも、私もかなりフェミニストに気質が近いと思うんだが)

そんな中、最近ツイッターでゴリゴリのフェミニストかもしれない人を見つけた。
ツイッターの端々から溢れる男への恨みが半端ない。もっと言えば、恨みからくる決めつけも半端ない。
まぁ落ち着け、男だって大変なんだ、女の側が、感情的にどうこう言ったってしょうがないだろう。女を解放するためには男こそを解放してやらねばならんのだ。男と女は表裏一体で、ともに男尊女卑、家族制度にがんじがらめに縛られている犠牲者なのだから、と。

今まで見てきたツイッターは、女は子供を育てるのが一番幸せ、仕事なんてするからダメなんだ、男が働かないでどうする的な、ミソジニー♂しか見た事がなく、呆れつつどこか狂気を帯びた怒りに恐れを感じていた。
だが、男に対する恨みが強いフェミを見ると、なんかもう、フェミもミソジニーも異性という仮想敵に幻想と怒りをぶつけているだけなんだなーとしみじみ。同じレベル。

もちろん、社会が徹底的に女の話を聞かない、それで社会が成立していたフェーズであれば、怒りのままに社会を破壊する力が必要だったのかもしれない、が。
今や男性社会も破綻し始め、完璧な男でいられる人はどんどん減っている。
そのほころびの現れが、ニートであり、失業者であり、ひきこもりだろう。
怒りをぶつけ合うなんて疲れるだけだし、敵を作って目的達成の邪魔になるだけだ。
そんなんよりも、男女が手を取り合ってお互いに理想や役割を押し付け合わない、個性を尊重できる社会を目指す方がよっぽど楽しそうじゃないかな(ちょっときれいごとがすぎる気はするが…)。

そもそもフェミニズムって最初からそういうもののはずなんだがなー。ゴリゴリのフェミを私が勘違いしているだけかもしれん。