大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

大卒という狭い社会

東京でメディア系の仕事をしていると、大卒じゃない人と出会う機会は極端に少ない。

局員はもちろん、制作会社も、広告系の仕事も、みんなほとんどが大卒だ。

だから学歴の話になるとつい「どこ大卒ですか?」で会話を進めてしまう。20代の頃は、世の中頭が良かろうと悪かろうと大卒は当たり前。高卒とか、中卒は家が貧乏とか、学校をドロップアウトしたとか何かしらの事情でもない限り今の時代、大学くらい行くだろうと思っていた。

いやはや、視野がとても狭いですね。

この記事は理系女子大生のインタビュー記事。別にこれ自体にはなんも問題はないのですが、恋愛の話に及んだ時「そんなふうな感覚になったことがないな」と。まあ、私ゴリゴリの文系ですが。

mycampus.jp

M:なるほど。でも理系の中でも皆さんは女子じゃないですか。男性は理屈っぽい所ありますけど、女性は感性の人が多い印象なんですが、理系女子は恋愛でも論理的なんですか?

佐藤:うーん、でも理系女子の彼氏は理系男子が多い気がしますね。勿論全部じゃないんでしょうけど、文系男子とうまくいかなかった話はたくさん聞きます。そもそも文系男子と出会いが少ないって問題もあるけど、付き合ってからの相性があります。

M:相性!考え方とかですか?

佐藤:考え方が違うとというか、生活リズムですかね。理系女子は実験が忙しく全力で頑張ってるけど、文系男子は割と大学生活をエンジョイして勉強をあまりしない人が多いじゃないですか(笑)。だから、理系女子が愛している実験を理解してくれない。「何でそんなに勉強するの?」と言われると、悲しいです。あ、あとは、喧嘩が理系っぽいねと言われますね。喧嘩の筈が喧嘩にならない。

M:(笑)というと??

佐藤:理系女子だって普段は普通の女の子です。デート行く時はテンション上がるし、どんな服着ていこうか悩んだりします。でも喧嘩の時は違います。
例えば何かのすれ違いの時に喧嘩って起こると思うのですが、それって一つの観点の相違であって、シチュエーションの構造を把握した上で、お互いの解釈の差異を話して意見を交換する。だから、喧嘩というか、話し合い。 

※赤字強調はちゃんまる

 

うちの夫は、理系ではないが、こういうことであれば、話し合いしかしたことがないかもしれないなと。もちろん、「理系」のように、争点を整理した上で何が双方に食い違いが発生しているのか、なんて、論文調には言い合いはしないけれども、話し合いは行う。

 

夫「この点に関しては俺に非がある、だからまず謝るよ、だけど、この点に関して俺は悪いとは思わない、君に問題があると思っている。もしそうじゃないなら言って欲しい、でも君もそう思うなら君は非を認めて欲しい」

 

私「それは確かにそうかもしれない、君を悲しませたことに関しては非がある、申し訳ない、だけど、この行為をした理由は、私にもあって、君の中では理解ができないかもしれないけど、私にとって今この場では最善と思うことをしたんだよ、だから、それはわかって欲しいし、それをわからず君が怒っていることが私は悲しいのだよ」

 

というような感じの喧嘩を、特に私は、上記のセンテンスを30分くらい散文的に、時に泣きながら伝え、彼は黙って「ふむふむ」、時に「それは違うよ」「そこは俺も申し訳なかった」と口を挟みながら聞いてくれる。

(もちろん私が怒ることもあるが、私は感情的に情報を伝えるのが苦手なので、ちょっと柔らかい空気感の中で深刻な話をするよう心がけている)

 

これが理系的かどうかはわからないが、記事の中でいう、理系的でない文系的な喧嘩と思われるものを文系だが、私もしたことがない。さらにいうと、夫は理系大学にも、文系大学にも行っておらず、音響系の専門学校も、ほぼサボってパチンコに行っており、高校もさぼって外でタバコふかしていたらしいので、理系とも文系とも言い難い。まあ、あえて言えば、数字が好きだから理系か。

 

理系、文系と二分してしまっているけれど、この世の中には、理系とか文系とかでくくれない人がいっぱいいる。世の中は大卒だけじゃない。まあ、高卒、中卒のコミュニティにいる人(例えば、地方在住のガテン系のうちの兄貴)の周りには大卒なんてほとんどいないんだろうけど。改めて、クラスタごとに、階層化、固定化しているよね。

私はクラスタに関わらず、専門卒の夫と結婚できて幸せだ(まあ、テレビ業界内だから、クラスタ違うとは言い難いが)。

すみません、結局ただのろけたいだけでした。テヘペロ☆

 

 

(そもそも、彼女の言っている喧嘩とは何をいっているのだろうか?って感じでちょっと理解しがたい、文系の人って、理系にある種の「理系っぽさ」をもとめるからなんか、理路整然としている風な答えになっているけど、前提が明確でない以上、論理立てられている風でしかなく、それが理系っぽいのか、と言われたら疑問は残るのだが。やっぱたんに男を見る目がないだけなんだろうけど。

それとも、理系の話し合いがこういうことなのでしょうか?

そう、例えば喧嘩をした次の日に、Wordで作った「昨夜の討論で表面化した関係性における問題点サマリ」みたいな文章を机の上に置いておくような人

もはや喧嘩でも話し合いでもないけどね。出典はこちら↓

papuriko.hatenablog.com