大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

知性への憧れ

自分に知性がないなぁーと思う瞬間がある。多々。それは、教養が欲しいと思う瞬間があるから。
私は文学作品が読めない。
かといって高尚な思想書も読めない。
柳田國男は恐ろしくつまらない。あんな論理性の欠いた本、妄想か、文学か、科学か、微妙なラインの文章が一体何がいいのか、わからない。総じて、民俗学界隈の文章は結論が端的ではなく、あまりにもロマンチックで虫唾が走るし、読んでてワクワクしない。
もちろん、仮説には大いに心躍る一節もあったりするのだが、ついつい、
で?結論は?根拠は、証拠は?
と、読んでてイライラしてしまう。

社会学は難しい。基礎研究のように、環境を単純化することができない以上、推論は推論のまま終わらざるえない。

それでも、私の中にある人は一体どう生きれば良いのか、という問いに対する答えを探すためには、民俗学文化人類学も、知りたいと思えるものなわけで。
ただ、読んでて眠くなってしまう、飽きてしまう己の落ち着きのなさ、教養のあささにはうんざりするのである。

私に文学を愛せる知性があれば、もっともっとより多くのことを学ぶことができたに違いないのに。残念極まりない。
私は頭脳労働者で、頭を使って生きることしかできない人間だ。だから決してバカではないとは思う。
だけど、ガテン系の人間がみなパーフェクトにナイスバディかと問われれば、決してそんなことはないのと同じで、頭を使って生きるしかない私だが、結局おつむの弱さは未だ課題であり続けている。
ああ、頭が良くなりたい。
もっと本を読めたい、もっと知識と教養が欲しい。