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育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

読書は心を慰めてくれる

余談
本を読めるようになった本当によかったと思う。
私の母が本の読めない女で、読み始めると寝てしまうという人だった。
思うに母は軽度の知的障害か、発達障害があるのだと思う。その母によく似た私は、子供ながらに読書が苦手だった。

父や兄たちは三国志水滸伝司馬遼太郎などの歴史ものの本を好んで読む読書家ではあったのだが、私はなかなか読書ができなかった。本を読む集中力がなかったのだろう。
小学校4年生の時に父に夏目漱石くらいは読まなあかんと、「こころ」を手渡され、前半の展開の遅さに、辟易してしまい、その本を読みきったのは大学生になってからだ。

ただ、読書家ばかりだった我が家では、本くらいは読めるようになりたいと私自身も問題意識を持ち、中学生くらいの時にイルカの生態について書かれた本や図鑑、心理学についての文献を手に取るようになった。ただ、やはり本を読むということはなかなか苦手で、10代の頃はなかなか本を読むことができなかった。

ただ、そんな教養のない10代の私だが、唯一、貪るように読書にふけった時がある。それは、父の韓国への海外出張に付き合った中学生の時。
英語もそうだが、英語以上に読めない、ハングルだらけの韓国。
言葉は全くわからない。
日本語の分かる取引先の方たちが声をかけてくれるが、だけど、日本語が無性に恋しかった。マンガ原作の小説を韓国の旅に持って行っていた私は、日本語に餓えていたのか、貪るようにその本を読破した。それまでにはない経験だつた。

その後社会人になるまでさほど熱中して読書することはなかったのだが、人生に行き詰まった20代半ば、やはり貪るように本を読んだ。

生きるとは何か?
労働とは何か?
人間とはどのように、進化してきたのか?
人の適切な睡眠時間など、生態はどのようなものか?
日本人とは何か?
文明開化以前以後の違いは?
人にとってセクシャリティとは?

自然科学、人文科学がメインではあったが、葛藤や苦しみを抱えた時に貪るように読みふけった。
読書は人生に迷った時に、辛い時にまるでカウンセラーのように私の心を落ち着かせてくれた。
まぁ、読書といっても、私は文学を読まない人間なので、読書とは違うのかもしれないが。

本を読むという行為をこの人生の中で学習できたことは本当に良いことだった。
人によっては文学、小説に救われる人もいるのだろう(逆にそっちのほうが多数派な気はするが)

もちろん、本を読む習慣がないときはそのカウンセラーの役割がゲームであり、アニメではあった。だが、ストーリーものよりも、学術書に救いを求めてしまう私には、やはり読書という知の集積に触れられる習慣を学べたことは救いそのものだ。

今も集中力がないのでなかなか最後まで読みきることはできないが、精神の安定剤としての読書という、側面は特に読破することに重きをおく必要はないだろうしね。

最近は貧困、格差の本を読んでます。

怯えているのかもしれないな、自分自身が貧困に。