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育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

なぜ学術的な下調べをしないのか?

TVタックルで紹介された引きこもり支援団体=ただの暴力について社会的引きこもりの名付け親、斎藤環氏が吼えている。


TVタックルは子供時代からよく見ていて、大好きな番組だった。深夜帯にお引越しになった時に時代の流れを感じ、寂しい気持ちになったものだ。
深夜帯に移ってから、一、二度自分の興味のあるテーマを見たことがある。が、正直もう見るのはやめようと思った。
時代遅れのおじさんたちの遠吠え番組なんだなと思ったからだ。視聴者も若い人は想定範囲外、頭の固い、おじさんやおじいさん向けのもの、という感じ。作り手があえてやっているというクレバーさも感じず、年寄り、こういうの好きでしょ、という感じがどうにも不快な作りだった。いや、むしろ、トップがみんな頭の固いおじさんなんだろうなーという感じがプンプン。

そしてなによりも、取材が浅いのだ。私が見たのはギャンブルをテーマにしたものなのだったのだが…。
依存症から脱却するための自助グループ、ダルクを取材はしているものの、基本話の内容は、経済的なことばかりで、病としてのギャンブル依存症という視点がごっそり抜け落ちていて、依存症という病のメカニズム、勉強した?と見ていて感じる構成で見ていてイライラした。
もちろん、ウィークリーの番組に深い取材を求める方がおかしいと思うが、にしても、さもいろいろ浅く広く調べてまっせという体を成しているから、逆に取材の偏りが鼻についてしまう。
月曜から夜ふかしや、怒り新党のようなバラエティ番組の方が徹底的に偏るがその分無駄に深い取材をしていて、面白みがある。
(まぁ、さもそのテーマ全般広く取材してます!っていうやり方こそが、90年代数字が取れた作り方だったのかもしれないが、ネットがある時代にそれやる時点で時代をかなり感じさせられたが)

私はこの番組を見て、下調べをたぶんしていないんだろうなと感じたのだ。下調べと言っても、被写体を取材する前に、それに関する本を一冊読むだけでもいいと思う。それだけでも、被写体との人間関係、取材先で見聞きする事実の認識の深さなど色々な意味で取材に深みを与えてくれる。サッカーの取材をするのに、サッカー観戦も、プレイもしたことない人よりも、どちらもしたことがある人の方がより深い理解ができるのは考えなくても分かることだ。
依存症は、そもそもギャンブル依存症に寛容で、そもそも、病気と思っていない根本的な問題がある、依存症は適切な知識がないと治すのがすげー厄介、そしてすぐ再発するとか、非難すれば治るようなもんではないということ、分かってる?と思ってしまったのだ。(それを見たとき、ギャンブルを取材したかったので、依存症の発生メカニズムや、どのラインまでが趣味ギャンブルといえるのか、依存症となるのか、を調べていた、これ、まだよくわかんないけど)

なによりも、下調べをすれば被写体の言うことに対して自衛することができる。この人は素晴らしい人だがこのことに関しては、通説と外れた考え方だ、とか。被写体に間に受けすぎないで済む。取材者自身を守るものでもある。
それが、見ていて感じられなかった。

まぁ、実際どこまでわかってて、わかってなくてやってるかなんて現場行かなきゃわからないんだが。

ただ、私も近しい取材をするものとして本当に身につまされるものがある。こういう被写体を人間扱いしない、私自身が共感できないものは取材はしたくないが…これが、自分の所属するチームの仕事で、人手が足りず、締め切りに追われていたら…多分抗うことができないだろうなぁとも思う。仕事だし、生活かかってるしね。
色んな意味で他人事とは思えなかった。ある種、メディアの中の人であり、「当事者」である私は陰ながら齋藤氏の行為にエールを送ることしかできないが、たぶん、こういう論拠がしっかりした批判は、我々テレビ屋にとって決して悪いことではない。

一時的にはある意味でやりづらくなるところかもしれんが、テレビ屋だって、エンターテイメントであっても、ジャーナリストであることには変わりはない、何でもかんでも馬鹿の一つ覚えみたいに社会一般が否認するものを否定していては社会を無軌道に扇動するだけの媒体になってしまう。