大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

思い通りにいかないとイヤ

自分だと客観的に自分を見るのはなかなか難しいものだと思う。
そこで私は夫に私が短気か穏やかかを聞いてみた。

どっちかというと気が短いんじゃない?思い通りにいかないとイヤでしょ。
と、言われた。
あー、そうかもしれん。そんな気は無かったけど、自分のことをわがままと思うこと無かったけど、周りからわがままとか自分中心とか言われるのはそのせいかもしれない。
自分の我を通したいわけではない。すべての人が総意の元でつつがなくことが進んでいくことが美しいと思っている。
またみんなが心地よく生きて欲しい、誰かがイヤな気分をしているのは心外。全力で汲み取りたいと思う。
だが、それがわがままな源泉なのかもしれない。
みんなが幸せ、納得、得をする。それを選択しなかったり、うまくことが進まなかったりすると本当にイライラする。
あと自己犠牲の精神なんてかけらもないので、自分が辛いのももってのほか。自分が幸せになりたいから、みんなも幸せになって欲しいだけのこと。
そう考えると、我が強いのかもしれないし、周りにはなんであんなに自分勝手なのだろうと思われていかねないだろう。周りの顔色を見て、判断を変えてしまうところがあるから。
だが、私としては、周りの人との調整に必死で、時に自分を殺していたり、周りのために労を惜しまないことも多い。東奔西走して、なんで私がこんなに頑張らなきゃいけないんだろう?と、恨みたい気持ちになる程ぐったりしていることさえある。そんな中自分勝手と言われると、なんでわかってくれないのだろう?私はこんなに無理をしているのに。と怒りを抑えられなかったことがある。
私の中ではわがままではないのだが、考えてみれば私は私のために自分を押し殺して、駆けずり回って自分で苦労を買って、周りに迷惑をかけていたわけだ。
自分の思い通りにしたいという思いが強いからこそ、わがままと後ろ指を立てられてきたのではないだろうか?

若い頃の私は、わがままという言葉の定義が狭かった。夫が指摘するような、思い通りにしたいという意味に、自分の我を押し殺して、自分の努力のはてに周りが幸せに、納得することも含めた部分を周りにワガママと言われていたことに気がつかず、無理解に苦しんでいたわけだ。
まぁ、その理不尽さへの怒りが今の私の行動の原動力なのだが。

…何言ってるか分かりづらいね。でも、とりあえずリライトしないでアップしよう。だから文章力が向上しないんだがなぁ。