大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

宮﨑駿と新海誠は違う方向性だとわかってよかった

君の名は。を見てきた。

なんとなく、見なくては行けない気はしていた。話題作だし、宮﨑駿好きとしては、これはやはり見なくてはいけないのではないか?と。

見たいと言ってくれる人がいたので、見てきたのだが、友人との感想は

「良かった」

だけである。

毎回、その友人とは映画をみたあと、だいぶ長いあいだ、メッセンジャーで、あの映画のあのシーンはこうだった、ああだった、と盛り上がるのだが、今回はほぼそれがなかった。

良かったし、また見たいなとも思うし、人にも勧めようと思うのだが…シンゴジラや、宮﨑駿アニメのような中毒性が全然ない。

なぜか?全然わからなかった。キャラクターに共感ができないからか?と思ったが、考えてみたら、シンゴジラも、宮﨑駿作品も共感できるキャラがどこにいただろうか?共感じゃない、何かが違う…。

たぶん、ひとことで言ってしまえば私と友人は恋愛映画に興味がない、ということだとは思う。

だが、センとハク、アシタカとサン、キキとトンボ、ポルコとジーナとフィオ、カーチス、恋愛要素があるじゃないか、紅の豚では「ポルコ、ジーナとくっつかねえのかよ!おめえジーナの気持ちちゃんと考えてやれや!」と、めちゃくちゃ焦らされたではないか。

何が違うのか?なぜポルコとジーナの恋にはキュンキュン(?)できるのに君の名は。ではそこら辺ひっかからないのか?不思議である。やはりあれか。

戦闘シーンがないからなのか?

ただただ、私の心の中に湧き上がったのは、そんな切なさとかどうでもいいから、恋よりも、無人在来線爆弾を!そんな気分だった。

男女のすれ違いに興味が無いはずないのに、なぜか全然胸が締め付けられない。

宮﨑駿の後に名を刻むアニメーターなのかなーと思ったりもしたのだが、たぶん違うと思う。もちろん名は刻む気はする。映像美へのこだわりは、もちろん素晴らしい。だが、駿の後ろは庵野だ。庵野の並びに新海誠がいるとは思えない。アクションがラブストーリーの添え物になる新海作品と、ラブストーリーがアクションの添え物になる駿、庵野作品。たぶん、それが違いだ。

とりあえず、なんとなく、それがわかってよかった。