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育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

足るを知る

ふと、20代後半の私は、足るを知るの意味を履き違えていたなと思った。

もちろん、20代後半にやっとその言葉を知り、感銘を受けた。

足るを知るとは…

人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるということ。
老子』に「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り(満足することを知っている者は富者であり、努力している者は志ある者であると言える)」とあるのに基づく。

足るを知る者は富む - 故事ことわざ辞典

憧れを持ってやってきた東京生活、しかし、24時間休みなく動く街、金が無いと休憩もできないこの町のしくみ、そのために働き続けなければいけない生き様に疲れはて、もうすでに、田舎暮らしに絶望していた私は、生きることに限界を感じていた。そんな時、想像を絶するど田舎で、自給自足のような暮らしをしているおじさんから聞いたその言葉は、私の脳髄をハンマーでぶん殴るくらいの衝撃があった。

私も、このおっさんのように、田舎で、くらしたい、東京のくらしを全部捨てて、田舎に。

私はその時、足るを知る、というのは物欲を見限ると理解していた。それはそれで間違ってはいない。だが、本当の足るを知る、というのは、己の限界を知るということでもあるように思う。

 

私はおっさんや、おっさん周りの田舎の資源を面白がる少し年上のお兄さんたちに憧れた。彼らのように、自由に、東京と田舎を行き来したい。田舎の資源を自分の収益に変えたい。新しい幸福を手に入れたい。

それは、全然足るを知るではなかった。物理的に最新の工業製品を欲しがらないことがことが足るを知るではない。

「ここでよい」「これでよい」と現状に満足し、現状ある材料の中で勝負ができることだ。私は全く足るを知ってなどいなかった。

「片田舎はだめ」と東京を目指し「東京はだめ」とど田舎を目指し…終わりのない理想郷をずっと求めていた。

テレビで見聞きし、衝撃を受けたことがある。諦めるとは、明らかにすることが転じてうまれた、という。(一休さんあたりの時代の)仏教の世界では、諦めるは、良い言葉だそうだ。(ソースがあいまいなので、正確ではない)

それもまた私の心に突き刺さった。諦めることイコール悪だった。諦めたらそこで試合終了ですよ、とアラサーだったら誰でも知っている安西先生の名言は心の中で何回反芻したかわかったもんじゃない。

「私たちは、がむしゃらに、ゴール目指して食らいついていかなくてはいけない」と思っていた。

諦めないことは確かに重要で、努力も大切だ。江戸期の仏教は庶民に努力を推奨していたはずだ。

大切なのは無軌道にがむしゃらファイトすることじゃない。

今あるものを大切に、己自身の足るを知り、己の中にある資源を大切に、その可能性を模索することだと、最近はやっと思えるようになってきた。

東京にしか居場所がない自分を否定しない、自分ができることをちゃんと見つめる、他人や場所に左右されるのではなく、自分がやりたいこと、やれることとちゃんと向き合う。

もちろん、今も気がついたら、無軌道に、「やらなきゃ」と焦燥感に追い立てられてしうことがあるだろう。だけど、なるべく、己の心の声に耳を傾けて、己の足るを、己の資源と向き合って生きていこう。

 

他力本願に、地方に逃げようとしていた自分の若気の至りを振り返って今思うこと。