定点観測は大事かもしれない
最近、もうだるくてだるくて仕方がない。
家の階段が辛い、夜家に帰ったらなにもする気にならない。なんなんだ、取り憑かれてるのか?と、思ったら、一年前の同じ時期にほぼ同じこと呟いてた。はてブの一年前の投稿のお知らせを見て気がついた。
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運動したいのだが、どうもからだの調子が良くなく(運動不足で体がこっているだけかもしれないが)どうにもだるい。
やらなきゃいけないこと、落ち込むこと、そんな毎日に追われ、気がついたら連休中は、1日か、2日しか休みがない。
仕事はしていたようだが、グッタリしてる。
ということは、たぶんだが、単純にまだ暑さなど気候の変化に耐えられず体が悲鳴をあげているのが、今の季節、5月なのでは?という気がしてきた。
たぶん、毎年なんとなく具合が悪く、なんとなく、だるっ!と思っているのだろう。
しかし、去年に比べると私は確実に体力をつけているのかも。山登り二回行ってるし。よし、体力つけよう。
あと、LGBT当事者意識についても、なかなか興味深い発見をした。
3年前の投稿。
人間ってやつは絶対先天的要素と後天的要素で出来ているものだろう。だから、今後私は再び性の不一致を再燃させてガッツリレズになったり、FTMになる可能性だってゼロではないとは思う。
FTMそのものに性的指向が関係ないことを2年前の私は知らなかった。(男性だという性自認を持っている人は女を好きになる人だけだと思ってた)
乳房を切り落としたい気持ちとか、ちんこがほしい気持ちとか、男の人に、男として扱ってもらえない屈辱感とか…。まあ、私はそこは(しぶしぶ)折り合いがついたので、私はただのミソジニー(女性嫌悪)が強烈なだけなんだと思いますけどね。
今読み返すと、全然納得してないんだなぁと素直に思えるけど、この時は女として生きるしかないと、思っていた。いや、今も思ってるけど、でも、自分の中に湧き上がる、違和感をなかったことにしなくていい、無理して女のふりをして生きなくても良いのだがと思えるようになった。私は勘違い野郎じゃないし、トランスジェンダーは、自分と同じように悩む人で、私は彼らに対して無理解な敵対者ではない。自分の存在を否定して、貶めなくていい。と思えるようになったのはやっぱり心が健康になったからかもしれない。
また将来読み返していた時はなにを思うかわからないから、これからも定点観測続けよう。とりあえず今年の5月は高尾山でトレイルランしたあと高尾山口駅のホームから落ちかけて怪我をした。
あれくらいのランでバテない体ができてるといいなぁ。