大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

子どもがほしいのか、なんなのか?不妊治療①

書いたかどうか、分からないが、妊活を始めた。掻爬手術から、3年、いや4年か。

 

mangobus.hatenablog.com

 

さすがに、自然妊娠は難しいだろうと、そして年齢的にも妊娠確率が下がりつつある。不妊治療をすべきと考えたわけだ。

 

で、タイミング法にトライすることに。

婦人科の先生が基礎体温や、生理周期、卵巣の様子を観察して、排卵日というタイミングに、セックスをするというもの。治療法というにはいささか原始的だが、堅実な方法ではある。

先生の見込みでは、うまいこと排卵日にセックスができたようだ。先生が様子を見てくれ、という日に生理は来なかった。

もちろん、普段の生理周期よりも短いその「日」に生理が来なかっただけで、まだ妊娠と決まったわけでもない。だが、いざ妊娠するかも、と思うと恐ろしく不安になる。

これから私の人生はどうなるのだろうか?

仕事はできるのか?産後、フルマラソン走れる体力はいつから回復するのか?トレーニングをする時間はあるのか?

33歳女性のランニング人口はどうやら2000人にも満たないらしい。(ランネットというランニング大会にエントリーできるHPでフルマラソン完走した同年齢女性のランキングをみたら1600人くらいしか全体で登録されていなかった。34歳男性は6000人いた。)

忙しいのだろう。いや、考えてみれば、フルマラソンって40キロ以上走るから、そもそもパイが少なくて当然なのかもしれないが。

 

一人の人間を育てる覚悟を私はできるのか?そもそもなぜ私には子宮がついているのか?他の人と同じように、女に孕ませられる機能をなぜ私にはついていないのか?

他人事であれば「別に、そんなに考え込まなくても」と思うことがどんどん押し寄せてくる。

 

しかも、前回の掻爬手術のとき、私は子どもが流れるということに一片の「母性」というものを感じなかった。いや、何を持ってして母性というのか分からないが、「可哀想…!」「私のかわいい赤ちゃんが…!」なんて感覚はなかったのだ。妊娠がわかった時は「安全にお腹の子が生育できるよう、最大限リスクを取り除かねば」と義務感と焦りは覚えたが、流産が決まった時「そうか。簡単にできないもんだな」と少しがっかりしたのと、やっぱり自分は子どもが産めないんじゃないかと不安になったのと、重圧から解放される安心感があった。子どもが云々なんてことは思わなかった。徹頭徹尾、己が事しか考えていなかった。いや、今も。

そんな人間が、母親になる、というのはなかなかおぞましい感覚がある。

「母親」?「親」?

疎んで、哀れで、後ろめたくて、不愉快に社会から持ち上げられていて、だけど結局は庇護の対象でしかない「母親」に、私が?
(と、書いてて気がついたが、母親に対する印象が悪すぎるな私)

 

が、結局のところ生理がきた。辛い生理痛を引っさげて。

ホッとしたような、また長いトンネルの中から抜け出せないのかと、うんざりしたような、なんとも言えない。

妊娠したらしたで不安、生理になれば生理痛と流れ続ける血液に悩まされる。

どっちも不快でどっちもきつい。

 

潜在的FtMゲイの人がウェブ上で「女が妊娠するなんておかしい、全部試験管や人工的保育器で子供が育てばいい」みたいなことを書いていた。なんで?と思ったが、自分には他の人(男性)と同じような生殖機能がないからだ。自分は男に生まれてくるはずなのに、自分の子どもを持とうと思ったら自分が誰かから精子をもらって自分の腹で育てることしかできないからだ。だから、そんなことを書いていたのだ。私も同じだ。人類は皆・・・みたいな書き方だったらよくわからなかったが、自分が女性で、女性としてしか子孫を残せないのがきっと不服なのだろう。

私にもわかる。だが、私が妊娠しなくては、夫と私のハイブリットは産めないのだ。ハイブリットである必要はない。特別養子縁組もあるのだから。だけど、特別養子縁組もそれ相応の覚悟がいる。

人間を育てる、これは、どんなプロジェクトよりも、覚悟がいるのだ。だからこそ、コンドームに穴があいてて妊娠するとか、捨て子でも拾ってくるくらい偶発的な事故的にでも起きない限り、腹を括る勇気を私はやっぱり持てないような気がする。

 

いや、でも、もうちょっと頑張るよ。不妊治療。