ADHDの自分を育て直し

よくわからない生きづらさに人生を思い悩む人のブログです。最近ADHDと分かりコンサータ始めました。

通院ログ再診① 母親の見過ごされたであろう発達障害について

前回の精神科通院に続き、2度目の再診。

 

初診は着いた途端トイレ行きたくなったり、電話対応してて、ガチャガチャになってしまい、That's 発達障害になってしまったのが恥ずかしかったので、次はスマートに行こうとした。

しかし、結局荷物落とすわ、診察券忘れるわで、再度That's 発達障害 セカンドみたいなかんじになってしまった、いや、そんな自己アピールいらねぇから。

 

今日は薬が効かないと言わないといけない。あーこれで薬増えたらクソだりーな、と思いながら。

 

診察室で薬の効果が実感出来ないことを先生に伝えると、多分量が少ないんですね、小学生でも飲める量ですから、とのこと。

副作用があるということは伝えた。食欲不振、口内炎

たぶん口内炎は関係ないでしょうと言われる。実は吐き気とか、頭痛とかもあったんだが、毎日だったか釈然としないのでそれは言わなかった。

あと、診察中、眠くてだるくて仕方がなかった。とにかく早く帰って寝たかった。

 

適正量なら確実に眠気は取れる薬らしい。

処方される薬の量が1.5倍。27ミリに。

薬の話だけして、そそくさと診察室を出る。

 

その時も荷物を抱えていてうまく部屋から出られない。

発達障害かよ。YES発達障害です。

 

病室が出てから、というか翌日思ったのだが、私は本当に発達障害なのだろうか。もちろん、発達障害だとは思うが、そういうことをそういうことも含めて話をすればよかった。

そして、次回は母を連れて行こうと思っている。

自分自身が本当に発達障害かを診断してほしかったし、何よりも、女性のADHDや借金玉の本を読み、私は軽度であろうということと、我が母比較的重度のADHDではないか?ということに思い至ったからだ。

思い返せば、母は昔から本が読めない人だった。知的探究心はあるのだが、本を読んでいると目がしょぼしょぼして寝てしまうと言っていた。さらに、年金だったか、免許だったか、なにかの書類申請をするとき、ほぼ書類が読めなくて、全く一人では申請ができなかった。こんな簡単な申請書の一つも書けないものかと、呆れると同時によくここまで生きてこられたなと関心し、何よりもこの人は、軽度の知的障害なのだろうと思った。幼少期の知能指数も特別学級ギリぐらいだったという我が兄からのリークもあった(なぜ兄貴がそれを知っていたのかは謎だが)。

しかし不可解なのは、母は商業高校卒で、ちゃっかり簿記3級とか持ってたりもする。私は資格の勉強というものがほとんどできないから、その勉強をちゃんとやれたという時点で母を知的障害とはあまり思えなかったりしていた。知的障害よりも、ある種の学習障害と過程すれば、知能指数の低さもうなずける。団塊の世代の母の発達障害なんて、当然のことながら見逃されていただろう。

いろいろな子供の頃から母のエピソードや、近年の妙なものへのこだわり、挙動不審と言われるこの私でさえ「母はあまりにも落ち着きがなくて子供のようだから人に紹介するのがはばかられる」と思うほどの落ち着きの無さを誇る。
母を比較的重度なADHDASDと仮定すれば、すべて説明がつく。

文化を欲していながら、文化をいまいち楽しみきれていなかった母こそ、コンサータを飲めば、生活が格段に楽になるのではないだろうか?

精神疾患の「し」の字も知らない人に、イチから説明するのが非常に骨が折れるが、自分のためにも、そして誰よりも母のために、いっちょ説得してみるか。