大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

ADHDは本当に狩猟採集民族時代の名残なのか?

ADHD発達障害が狩猟民族だとかいう論説があるが…個人的にまゆつばっていうか、ポジティブにとらえすぎていやしないか?と思う。

山に行くと思うのだが、ADHDを1人で野放しにしたら死ぬと思う。海もそうだ。

海は何かしらのトラブルが起こって、パニックになって、呼吸出来なくなったら、そう思うとなかなか行く気になれない。水棲生物についても、山の動物よりも遭遇、接触する確率が高い。

海に関しては経験値が少ないから恐怖のイメージが強くすぎるところが大きい気がする。

だが、山は自信を持ってADHDが本能のまま己を解放したら、コロッと死ぬだろう。

もちろん、現代の登山で、考えたらADHDとかいうレベルじゃなくてハードルが高い。古代、狩猟採集生活をしていた頃、山に入って狩りをしていたとしたら。

それでも、コロッと死んだと思う。よく、注意欠陥が有用だとか言う。実際それは分かる。遠くで音がした、この音は何か?とか、嗅ぎなれない匂いがする、とか、動物の気配がする、司会の隅で動物が見える、感覚過敏だからこそ有効なことはあるだろう。だが、もし、山中でのなにかに過集中が発生してしまったら?何かを追いかけて、足元が見えなくなって崖から落ちることもあるだろうし、そもそも道をロストしてしまったら。

そういったことがなくても、時間の経過を忘れ、日が暮れたら?山中では心身の疲労する速度も早い。

程よい集中と散漫さが同時に求められるのが山生活では必ず必要になると思う。恐らく、マタギなど単独で狩りができる人はそのへんのバランス感覚が経験値も含めて抜群なのだと思う。

十把一絡げにADHDは狩猟民族の名残なんて言うのは自然の脅威を知らない都会のロマン主義者の戯れ言でしかないだろう。(私もよう知らんけど)

 

私は怖がりで慎重な性格なため、あまり大胆なことはしないのだが、それでも、山中で根っこに引っかかって太ももを殴打したことがある。

外傷も腕周りのかすり傷程度で、太ももには大きめの青タンができた程度だが、その程度でも足を引きずるほどいたく、びっこを引いて歩く感じになってしまった。

街の中ではすぐに傷口を洗えるし、冷やすことも出来る。しかもその転んだ直後に雨も降ってきた。まともな雨具も持っておらず、日も沈みかけていた。無傷ならばすぐに下山できる里山ではあったが、引きずる足ではなかなか気持ちがせいてしまった。山中では、とりあえず日が暮れるまでに下山することが最優先になる。

ちなみに、軽いケガでも、なんというか、すげー不安になる。メンタルに来る。メンタル弱めなADHDには鬼門と言えるだろう。

人間の街から出ると人は驚くほどひ弱だ。

 

ADHDが狩猟に適切ではなく、狩猟には多様な能力がそもそも必要だという事なのだと思う。それを人は能力差におうとつのあるこじんをまとめあげか、チームプレーにより、達成していたのではないだろうか?

変化に気がつく感覚の鋭敏さ、状況の変化に動じないメンタリティ、チームをまとめあげる統率力、危険を回避する機転…。

恐らく、ADHDの特性は有用であったと思うが同じように定型発達者も同様に間違いなく有用だろう。

むしろ、悲しいかなADHDをあえてチーム編成に取り込まなくても、いいような気もする。

私も、発達障害が病気とは思えない人間のひとりではあるが、個体で動く時、発達障害があることが効果的な場面は、どれほどあるのか?は甚だ疑問だ。

ADHDがこの数人間の中にいて、もはや特殊な病気やDNAのコピーエラーでもなく、自然淘汰されることもなく現代まで引き継がれているということはある程度この社会に有用性があるものなのだと思う。

思うに、コミュニケーション力が弱いとはいえ、やはり、チームプレーのときに必要な資質だと思うのだ。

単独行動が可能なのは定型発達者だろう。

考えてみれば、ゲームキャラでも、攻撃力がバリ高いけど、その分ダメージにも弱いやつは短期戦や、切込隊長としては有益だが、結局最後まで戦えるキャラはヒットポイントが高く、攻守のバランスがいいやつだ。(このゲームキャラとは、FGOの私のチーム編成では、ヘラクレスと、ホームズを想定しております)

 

Fateシリーズの原点を貼っておこう。私FateシリーズはFGOとZEROしかほぼ触れてないけど…

 

 

おそらく、現代社会というのはチームプレーの社会に見えて、個の平均的に高い能力が求められる社会なのだと思う。凸凹のある人材をうまく使うリソース、余裕が無いというか。

過去のように相互依存的、監視的な社会になる必要は無いと思うし、そんなことをしなくてもこの社会は回る余裕はあると思う。しかし、今のままでは無限に個に求められる能力は爆上がりしていくような気もするんだよな。

うーむ…。