ADHDの自分を育て直し

よくわからない生きづらさに人生を思い悩む人のブログです。最近ADHDと分かりコンサータ始めました。

流産したからこそ見えてきた世界

ADHDのテーマとは外れますが…人体についての私の人生観を変えた流産について振り返りたいと思います。

 

ふと思うことがある。私は30歳で結婚して、避妊を解除したら、即妊娠した。もし子供が順調に育っていたら、31歳でママ、現在たぶん、4歳位の子持ちとなって、全く違った人生になっていたと思う。

流産して1年後くらいに、流産したことを特に言わず、私と同じように結婚して、すぐ子供ができた人と話している時に

「いやー子供は、授かりもんだから、望まなくてもできることはあるし、望んでも出来ないこともありますものね」

なんていう話をしたら

「そうですか?すぐ出来ますよ。避妊解除したらすぐ出来ましたよ」

と言われた。

「私もそうだと思っていました!ていうか実際出来ましたし。でも流れたんですよ。別に流れたことはどうでもいいし、すぐまた出来ると思ってたんだけど、その後全然できなくて。ああ、子供っていうのは、くじ引きみたいなもんなんだなーと感じましたよ」

 

「…そうですかね…?」と少しいぶかしそうで、そして少しバツが悪そうな表情をしていた。

あ、この人は、「あなたはそうだけど、俺たちは、計画的にできるから」と、私を哀れんで、自分には関係ないと思い込んでいるのが目に見えてしまった。

ハッとした。この想像力の差は経験の差だ。
正直、流産したこと、子供ができなかったことに感謝すら覚えた。
「自分は大丈夫」
「計画的に生きられる」
「現代科学を使えば人体はコントロールできる」
と根拠のないことを盲信する愚か者にならずにすんだな、と。こんな感情を持つのは良くないけれど「哀れだな」とさえ思った。

私自身、子供ができないことは計画性のなさ、努力不足だと思っているフシがあった。だからこそ、結婚に焦ったし、子供を作らない人間は努力が足りないとさえ思っていた。おそらく、結婚までは努力でなんとかなるものだろう。女子力なるものや経済力で相手を引きつけることは可能だろう。だが、子供を持つこと、パートナーと子供を育てること、子供を健康に育て上げることは、計画や努力でなんとかなるようなものじゃない。絶対に自己責任では説明できないことが起こりうる。

 

そんな彼も、今や2人の子供を育てる親になっている。私が知り得ることのないあ、子育てに悪戦苦闘し、もしかしたら、「人や、人体は、思い通りにならない」と気がついているかもしれない。でも、気がついていないかもしれない。

私は、流産して、子宝に恵まれなかったことを改めて感謝したい。もしあの時子供がすくすく育っていたら、きっとどこかで、子供が出来ない人に対して「私は計画性のないあなたたちとは違う」と、どこかで思う気持ちを自覚することすら出来なかったかもしれないからなぁ。

うまく言語化できないんだけど、恵まれた環境で育った劣等生そのもののメンタリティを捨て去ることができたいい転機となったんだなと思う。

子供がいてもいいし、いなくてもいい、別に自分が産まなくたって、子供を育てることができるし、子供が幸せに暮らしていける社会を作ることが、子供を増やすことに直結するわけだし。あと、何よりも、親だけで子供を育てることは不可能なのだから、子供のいる人を支えるだけでも、十分なわけだ。

 

mangobus.hatenablog.com

まだ競争社会の呪いが溶け切っていない頃の焦燥感たっぷりの私のつぶやき。

 

まだまだ分からないことや、常識と自分の能力の差に振り回されて、常識通り生きられない自分を苦しめてしまいがち。だけど、少しずつ楽に生きる道を模索したいものだ。