大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

出役になりたい人の気持ちがわからなくなった

高校生くらいから、私は裏方気質の人間だなと思うようになっていた。

今になって思うのは、表に出ても、あまりうまくいかないことを経験で学んでいたのだと思う。テンパり屋だし、人の目を気にする。人の対応によって自分を容易に変えてしまう。その場しのぎの主体性のなさ。相手の顔色のために、本当の芯の部分をないがしろにすることへの抵抗の低さ。それは自分に結構なダメージを後から与えてくる。

ただ、当時はその辺の感覚に自覚はなくて、表に出て、裏側にいる人にコントロールされるくらいなら、裏で全てを操りたいと思っていた。

高校生の時、ナチスに憧れていて、宣伝大臣のゲッペルスのようになりたいと思っていた。情報は戦さを制すると、報道機関に行けば世界を支配できる、まぁ、日本を変えられる、と思っていた。青臭い厨二病を抱えていた。

今、出役の良し悪しが見えるようになって、わたしには表舞台に立つ才能がとことんなかったことに気がついた。それは見た目がきれいとか、出たがりとかではなく、出役で光を放つことは個人の目立ちたいか目立ちたくないか、美人か不美人かと言った指向性はほとんど関係ない。トップ芸能人の放つ、華やかさは見た目のキレイさだけでは、とても説明しきれるものではない。あれを、わたしは言語化はできないが…。

 

ふと、気が抜けたり、童心に帰ると、自分が本当はものすごく目立ちたがりで、表舞台でみんなに注目されるのが大好きだったということをふと思い知らされる。

そういえば幼稚園の頃はアイドルになりたいだか、アナウンサーになりたいだか、戦隊モノのヒーローになりたいだか、テレビの中に出てくる人になりたかったし、小学生のころは、テレビの中でいじられてるADさんの姿を見て、ああされたいなと思ってたんだ。別になんか作りたいとかじゃなくて。あぁ、無知って怖いね。

ただ、人に注目されることを許容できる度胸もなく、観衆の心の望む姿に自分を寄せて愉しませるエンターテインメント性の瞬発力もない。頭の中では組み立てられても、それを全身を使って表現させる器用さはない。

裏方なのは、表現を自らでできないことと、全体を作ることが好きだからだ。世界を作ることが好きだからだ。目立ちたがりで、派手好き、注目されるのが好きなのを、裏方という形で、私はしっかり体現しているんだよね。

あぁ、人生色々あって思い通りにもいかないけど、やっぱりわたしは自分の望むようにちゃんと生きてこれているんだよなぁと思う。

幸せな自分の人生を振り返ると、辛いことも、試練も全部、神様ありがとうとか思っちゃう。根本的に何か信仰を持っているんだろうなぁ、日本的なアミニズム的な何かの。

 

そういえば、そろそろコンサータのこと、フィードバックしなきゃ。なんか、もうちょっとテキトーすぎて飲んでても飲んでなくても変わらないんじゃないかって気になってきてる。己と向き合わねば。