大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

母になるとなんかたぶん変わる

私は「母性」というものに懐疑的だ。

母性母性といって女や母親が特別扱いされることに色んな意味で違和感を感じる。

ただ、一度、妊娠・流産してわかったことがある。

 

自分の体に対して優しくなる、慎重になったような気がする。

女性というのは、子供を身ごもっている時は生きる保育器になる。

女は保育器じゃない、と憤慨するフェミニストを見たことがあるが、

一人の人間でありながら、妊娠中は間違いなく保育器になるのだなとおもった。

 

ワタクシ事だが、妊娠中は、いろんなことに過敏になる。生理的にも心理的にも。

まず、つわり。

多くの妊婦が匂いにすごく神経質になるそうだ。

私もご多分に漏れず匂いが不愉快で仕方がなかった。

一時は、大好きなカレーの匂いでさえ不愉快になった。

匂いというのは、毒素や、カビとか体に有害なものを

いち早くキャッチするための情報だと思う。

その情報に敏感になるということは、体を有害なものから守ろうと

普段以上になることなんじゃないかなーと漠然と考えた。

 

心理的にも不思議なことにいろんなことがきになるようになってしまった。

カフェインは摂取しないようにしたり

カフェイン中毒なんじゃないかってくらい珈琲もお茶も大好きなのに)

エコグッズの勉強をしてみたり、浄水器を設置したくなったり…。

 

私はエコロジストというのは極端に見えてしまい、あまり好きではない。

しかし、そんな自分のささやかな変化を通して、

なんとなく、子持ちの母親が子供に影響あるんじゃないかということにたいして

ヒステリックに過敏になるのかわかったような気がした。

 

妊娠中や、出産後数年は

自分の行い1つ1つが、子供の体の形成、人生すべてを決定づけてしまうことになる。

それはとんでもない責任だ、自己責任どころではない。

自分とは全く別人格の他人の人生を全部覆いかぶさらなくてはらないわけだ。

父親ももちろん過敏にはなるだろうが、自分の行動すべてが影響する。

 

私の場合、心拍を確認するどころか、胎児の形すら確認できる前の状態で、

発育していないことが確認できたので、ほぼ自覚症状なしの妊娠・流産だった。

(ただつわりはできればあまり体験したくないしんどさがあったが)

だから子供が流れたことについて後悔や罪悪感はほとんどないが、それでも

「あの時バイクでにけつして1日じゅう走り回ったから」

「あの時脱毛サロンなんか行ったから」

「あの時酒は飲まなかったけど居酒屋行ったから」

「タバコを吸っていた人から距離を置かなかったから」

と、気がつくと育たなかった理由を探そうとしたり、自分を責めそうになる。

 

流産は最初の妊娠の場合、年齢にかかわらず

比較的高い確率で起きるというデータを知っており、

その多くは胎児自身の状態に原因があるとわかっていてもだ。

 

母性本能がなんとかかんとかいって、女というものを勝手に

定形に当てはめられるのもうざったいが、

母になるとなんか何かが変わる、変わり方は人それぞれだが。

 

ヒステリックなババアになる可能性は誰にでもあるし、

たぶんそんなババアを煙たがっていいけど、全否定しちゃいけないと思う。

そういううざいババアがいるから子供を成長させられるんじゃないかなって。

 

だが、そんなババアにならないように気をつけて生きていこう。