大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

常識というつまらない社会

あけましておめでとうございます。

新年なのですが、それを感じさせない文章を書いていきたいと思います。

 

社会というのはシステマチックにできていると思う。

常識という不文律の法律に従っていれば何も考えなくてもいきていける。

 

前職の会社に顔を出してみた。

けじめをつけるためだ。

 

しんどくて、逃げるように辞めた会社。

とにかく辞めたくて、混乱気味だったし

迷惑をかけたような気がしていた。

 

 

結果、他愛もない話をしてさっさと帰ってきたのだが、

どっと疲れてしまった。

「どうして私は働かなければならないのだろう?」と、

混乱しながら、2年間考えた私にとって、

漠然と目の前の仕事に追われ続けて働き、

それが当たり前で、疑う余地もなく、それができない人は

人手はないという常識の世界では、私は宇宙人のような存在に

なってしまったのだと痛感した。

 

彼らと私との間には、目に見えない壁がある。

「働いた自分のお金で生きるのが当たり前」

実は当たり前ではない、「生きること」はもっと多様だと

気がついてしまったというのはこんなにも

生きづらいことなのだと痛感した。

もちろん、この気付きがあり、能力と機会に恵まれた者が

そういう常識に囚われている人を雇う側に回る事ができるのだが。

能力も機会もない私のような凡庸な人間は、もっとも最底辺に

落ちるか、完全に社会構造から離脱して生きていく方法を

模索するしかないのかもしれない。

 

頭がよくて、体力も会って、従順で、会社員出来る人は

悩まなくていいなと思う。

でも、私はもう、気がついてしまったし、気が付かなくても

会社員する能力が低いのだから、それ以外の方法を

模索するしかないと思う。

 

古巣に戻ったことは、非常に疲れる作業だった。

1時間もなかったのだが。

しかし、働かざるもの食うべからずが当たり前の

人を見て、彼らは常識という、透明の文化の真空管の中にいて、

そのことに気が付かないということが私には少し滑稽に見えた。

…もう、戻れないな、とも思ったけども。