マタハラ・DVの壮絶さ、悲哀は伝わりにくい
一気に書いた文章がちょっとおかしかったので、加筆修正しました。仕事中にこそこそ書くからです、ええ。
このブログを一気に読んだ。
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モラル・ハラスメントを受けていた女性の、モラハラ夫から開放されるまでの、追想録。
モラハラのネタはいつかやりたいと思っているのだが、なかなか、扱いが難しい。
何が難しいかは明快だ。
問題が体験してみないと超わかりづらいこと。
DVは少なくとも、明らかにわかりやすい。
暴力は誰の目に見ても卑劣だし、痛いし、傷も残る。
モラハラはジワジワと、心を蝕み、
内側から被害者をゆっくりゆっくり壊していく。
そして、空気が汚染されている感になる。
家庭という密室では、被害者は正常の判断ができなくなる。なんたって、加害者は、最大限に被害者の退路を経って、孤立させり。被害者に非があるようにしむけ、冷静に考えるすきを与えないよう攻め立てていく。
被害者は何をどう言い返しても自分が悪いと言い返され、恫喝されるために、自分が悪いかもと自省を繰り返し、善悪の判断が出来なくなる。
誰かに現状を訴えたら、それを元に普段以上に責められ、脅されるので、後で何されわからない、逃げられない、服従することが最善、自分が我慢すれば全て収まると、なあなあにしてしまう。
正常の状態であれば「逃げればいいのに」「言い返せばいいのに」と思うけど、それができないくらい追い詰められているのだ。
モラハラは2012年に獄中自殺した住田美代子のように、被害者を追い込んで行くと思ってもらえると、逃げ場がないことを分かってもらえるかもしれない。
なんで私がそんな感覚がわかるかというと、そういう父に育てられたからだ。家庭というのは、殺伐としたもので、修業の場だと考えて、耐え忍んで生きてきた。学校にいつも逃げるように登校していた。(朝弱いから遅刻魔だったけど)
ただ、その加害者が極悪非道で異常な人間かと問われれば私は断じてそうは思わない。存外人が良かったり、優しかったり、弱かったり、人当たりがいい善良な人ではないだろうか。
なおかつものすごく自己否定感が強い。常に自分は最低で、人は自分を見下している、バカにしていると思っている人だと思う。
人当たりがいいのは演技で本当の自分はどうしようもないと思っているようだ。
ずっとずっと自分を責め続けているからこそ、自分に好意を持つ人を馬鹿にするし、自分の好きな人を恐怖や暴力で支配しないと逃げられると思っている。
モラハラ加害者はよく、本当は優しいとか、言われるのではないだろうか?本当は優しいのだと思う。ただ、そのことを加害者自身が認められないんじゃないかな。自分は最低だから、自分に好意を感じている奴らは自分の演技に騙されているばか、騙し通すか、騙す必要がなければ、上位につき、屈服させなければ去ってしまうと…。まぁ、推測ですけどね。加害者には、強い自責と悲哀、そして孤独をを感じるので…。
加害者の最大の被害者は、加害者本人だと私は常々思う。
まあ、だからと言って、加害者をかばうべきとは思うわないのだが、根本的には加害者が自分のこころとちゃんと向き合い、自分を許せるようにならないことには、救われないよなーと思う。