大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

子どもからお母さんを開放したい

何を言っているのか?と思われるかもしれない。

先日、乳幼児の2人の子どもの子育て中の専業主婦の友人にあった。

子ども込みであったので、無邪気な子どもの姿、子どもをあやす中、ほっこりと癒やされたものだが、彼女はぽつりと「毎日1回は怒ってる。ちょっと厳しく怒り過ぎかもしれないけどさ」とつぶやいた。そこには自己否定や疑問を持つという変な響きはなく、私はすぐ「仕方ない部分はある」と子どもはほっとくと悪さするものだからと、慰めたりした。(悪さと言っても子供としては学習の一部、親が嫌がるとかいうことはしらないだけ)

でも、もし彼女が、1週間のうち、1日や、半日だけ自分の時間をもてたり、子どもと過ごさない時間があれば?

もちろん、子育てから開放されても、心は常に子供のことを考えており、絶対的な開放なんてありえないのだけども、客観的に、自分と子どもを考えられる時間が増えることは、たぶん子育てにとって重要だと思う。

特に、子どもとの時間が濃厚な乳幼児の期間ほど、母と子に適切、程よい距離があるのがいいと思う。

残念ながら科学的根拠もなんもないけど、大学4年の時、2、3歳だった姪っ子と、その親(兄夫婦)と一緒に暮らしていた時期の経験から私はそう考えるようになった。義理の姉が下の子を妊娠中だった時期も重なり、フリーターだった姉と2人で子育てを手伝いながら暮らしていた。

当時の我が家は末期がんの父、独身の兄、既婚の兄と嫁(妊娠中)娘、独身フリーターの姉、私。ずっと一家離散していたが、末期がんの父のために一時的に家族が大集合。母は別居のため不在(父と絶縁)というちょっと一風変わった家族構想だ。

私は、昼間は大学やサークル活動で家を離れていたが、母親は全然離れられない。子どもはどこまでも母親を求めてくる。癇癪をおこしては、母を困らせ、自分の思い通りにしようとする。トイレも、許さない。個室にこもろうとすると、ドアをどんどん叩き、出てくるよう怒る。そして、たいがい子どもは起きている間ずーっとしゃべってる。母親はずーっと話しかけられ続けている。話しかけてこなくてもずーっとしゃべってる。そばにいることを強要してくる。

私の一族の子は、声がでかくて、動きがでかくて気が強い、おしゃべり、他動と、他所様の子よりも、めんどくさい手のかかる子だと最近うすうす気がついてきたが、正直、私は親になったら軽くノイローゼになるなと思っていつも子どもに接してきた。

だからこそ、たった1時間でもいいから、一人カフェでほっと一息するようなささやかな時間を設けてあげたいと思う。

 

もちろん、子どもは発狂しそうなくらい母親を束縛して、わがままをいうものだけども、それでも衝撃的にかわいい。もうそれでもたべちゃいたいくらい可愛い。姪っ子との生活は、しんどさや戸惑いも多かったが、(彼女が起きている時間は卒論もかけず、ほんとうに辛かった)とても甘い時間だった。

だからこそ、子育てはやめられないのだと思う。実の子ではないのに、ここまでメロメロにさせてもらえるのだから、自分の子だったらそりゃあたまらないのだろう。(想像だけなので、まだ絶対自分の子どもがほしいとまでは思えないが)

子育てをより楽しく、愛情の密なものにするために、「母親を子どもから開放する」ってきっと重要だと、私は思う。