大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

常識に飽きてきた

マスコミの仕事をしていて、一番おもしろいのはぶっ飛んでいる人に出会えることだ。

マスコミのことではない、取材相手のことだ。もっというと、地方にいる人の方がぶっ飛んでいるような気がする。

常識をひょーいと飛び越えてしまう、面白さを持っている。

それに比べると、テレビ人というのは非常に常識的だ。

当たり前といえば当たり前だ。メインターゲットは老人と子供を持つ家庭。保守的な人がターゲットだからだ。

一方、ネットもぞんがい常識的だ。私が見ている視野のものに限るのかもしれないが、基本は「経済的成長」を是として論をするブロガーやライターが多い。

もうね、皆「そりゃそうだろう」という世界で話している人ばかり。その中で小さな差異を争っているようにしか見えない。炎上商法のイケダハヤト氏だってそうだ。そもそも、常識の範囲にいないと炎上すらしない。

ぶっ飛びすぎていると「うーん…この人何いってるんだろう?」と伝わらない(笑)。

メディアの限界だなと思う。結局、常識から大きくハズレる人を扱うことができない。

そういう人が次の時代を作ったり、ブレイクスルーのきっかけになるのだと私は信じているが…。

 

もうテレビも、メディアもいいやと思うのは、自意識過剰になりすぎているというのもあるが、そういう「結局すべて常識という予定調和の中でのお話」というのがあまりにも面白く無い。だから、私は、メディアの世界からさろうとしているのかな?とちょっと自分をポジティブに受け取ってみた。

 

特に、テレビは尋常じゃなく保守的だ。NHKクローズアップ現代の記者だって「このレベルは生活保護に頼ったほうがいい」と思っていてもたぶん、その辺はうやむやにするだろう。生活保護が出た時点でどんなにどん底でもチャレンジング生きようとしている人でも「フリーライダー」「敵」とみなされ、主旨を伝える前に「けしからん」と言われてしまう。とりあえず、取り上げた人に「同情」と「共感」を感じさせるためには、被写体には、とことん落ちていただかなくてはならない。結局テレビ・メディアは、国民の感情や社会の時世を拡張させるメディアだからな。常識をものすごく意識し無くてはならない。

と、ちょっと話がずれたけれど。

 

あーあ、私は一体何に向かって生きているのだろうか…。