大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

誰かにいいたい

でも、ちょっと誰かにいっても「お、おう?そ、そうか…」と言われるだけなのは明白なので、ここで書こうと思います。

私は、テレビ屋になりたいわけじゃない、とやっと、自分の心の中で言えるようになったような気がする。

 

それは、毒母ミーティングに言ったことが大きいと思う。

私がずっと興味を持ってきたことのテーマには、確実に親の影が存在していると、気がついたのだ。

新卒の時、なぜ自分がメディアを目指したのか、を考えた時、「子供が悲しまない社会を作るため」と思っていた。子供の頃、私は、離婚をはやし立てる社会の風潮があり、それを作ったのはメディアだと考えていたのだ。(だから私の家族は離婚したのだ、ということだ、今考えてみれば、離婚しなかったらヘタしたら母は発狂していたかもしれないから、離婚してくれてよかったのだが…)メディアをコントロールできれば、社会の風潮を変えることができる、だから、マスコミ、テレビだ、と思っていた。(漠然と映像制作が好きだったというのはもちろんある)

私は、そもそも、働きすぎる社会が疑問だったし、未だ女だけが育児、家事と仕事を両立せざる得ない社会にも腹が立っていた。だが、実際扱ったのは、ニートひきこもり。なぜか彼らとの居心地はよく、共感できる部分も多かった。若者問題、母子問題、アダルトチルドレン、気がつけば、どんどん、家族の問題に引きずり込まれていった。

一方、テレビが作りたいからって、そんな問題ばかりやっていられない。やらなきゃいけないことはたくさんあるし、会社を存続させていくためには、レギュラーの番組ももたないといけない。さらに、編集や、さまざまな妥協や、ストーリーラインを作るために、演出という、事実とは多少異なる効果も付け加えざる得ない(そうじゃないと物語が成り立たない&面白くなく、見てもらえないから)。

 

テーマについては強い思いをもっていても、番組そのものに、愛を持てない自分がいる。さらに言えば、他人がつくったものに全然興味が無い自分がいる。映画も、テレビもそんなに好きじゃない。「テレビ見なくちゃ」と奮い立たせないと、ドキュメンタリー番組は見ない。そもそも、ドキュメンタリー番組はお涙ちょうだいで、大嫌いだった…。

別にテレビ屋になりたいわけじゃない、私はクリエイターじゃない、そう気が付きながらも、ずるずると、「こうするしか方法がない」「正義のために」「やらないといけない」とともかく、なにか理由をつけて、自分を追い込んでいた。でも、結局は、テレビ屋仲間と縁を切りたくない、給料のため、「ディレクター」と呼ばれたいという名声欲、承認欲求でしがみついていただけだったんじゃないだろうか?

 

でも、そう思っても、やはり「本当にやめていいのか?」「テレビという強力な発信力のある媒体から離れて、家族のためにできることはなくならいのか?私は自分の地位を自ら棒に振ろうとしていたのではないか?」と、自分を咎めずにはいられなかった。

それでも「私は、テレビ番組制作を続けるべきではないのか?」という思いがどうしても拭えずにいた。

しかし、毒母ミーティングを見ていて、私は少し救われるような気分になった。ただ見ているだけ、だが。彼らは皆テレビを作る人ではない(構成作家もいたが)。本こそ書いている人たちだが、それは、なにかの本業や別のことをやりながら、やっていることだ。それに、イベントで自分の思いを代弁してくれる人を頷いて見ていて、会場と一体になれるだけで、勇気をもらえた。人を救えるのはテレビだけじゃない。方法はなんだっていいんだ。テレビにしがみつくこともないし、絶対に縁を切ったほうがいいわけでもない。テレビ屋としてのたった数年のキャリアでも、それが私が生きてきた道なのだから。

 

誰かをすくいたいんじゃなくて、そもそも私は自分自身をすくいたいような気もする。私のように、生きることに罪悪感を抱える人を救うことで、自分自身も生きていていいんだと、自分を納得させることができる。それは、別に、テレビじゃなくてもできる。確実に1人1人を救っていく方法だっていいはずだ。

自分にあったやり方、自分がやりたいことをやればいい、そうじゃなくて「じゃなきゃいけない」「しなければならない」と、自分を追い詰めてしまうから、気がつけばそんなにやりたくもない、本当は心が離れているものに、一生懸命執着していしまう。

自分の思いにもっと忠実に生きていこう。

 

もっとシンプルに言えると思ったけど、全然シンプルじゃなかった…。まだ混乱してるんだな。