自分の性
最近、cakesを購読したら価格設定が月額500円に統一されていましたね。
cakesは二村監督やphaさんなど面白いなーと思う記事も多いんだけど、それ以上に、全く触手が動かない記事も多くて、なるべく、ピンポイントで読んで、ささっと退会するようにした。月額500円は、週額だった頃に1週間で退会しようとして1,2ヶ月忘れた時の精神的ダメージを考えると嬉しいけど、読みたい記事(4つくらいしか読まない)のために500円か…とちょっとさもしい気持ちにはなる。
そんな中、ちょっと興味があったけど、無視していた記事も読んでみることに。
同性愛は治るものでしょ?|女と結婚した女だけど質問ある?|牧村朝子|cakes(ケイクス)
女性同性愛者が、聞きたくてもなかなか聞けない同性愛についてしっかり教えてくれるというもの。
男になりたい私
同性愛というものに、子供の頃からとても興味があった私。LGBT関連の番組にも携わった経験もある。この記事を読んで、ふと、子供の頃を思い出してしまった。実は、私は、ずっと男になりたかった。自分が女であることをしぶしぶ納得できたのは、25歳くらいの頃。まぁ…女でもしょうがないか、と。
脱処女をしたのが21のころだから、男を知って(という言い方も下世話だが)だいぶ立たないと、男性になりたいという思いを捨てられず、それ以上に自分が女性であるという事実を受け入れられなかった。完全な異性愛者だが、女性に興味が無いことはない。本当は女の子が好きなんじゃないかと揺らいだ時期も長かった。
子供のころの写真を見ると、男にしか見えないから、本気で男になろうとしていたのだろう(結婚式のプロフィールVTR用に昔の写真を探したら、ヤバい写真しかなくて本当に困った)。
治る性の不一致、治らない性の不一致
そんなことは珍しいことではないだろう。たぶんそんな女どこにでもいる。そういう意味では、私は性の迷路から脱出して、ようやく女として歩き始めることができた(しぶしぶだけど)。ただ、こういう奴がいるからこそ、本当のLGBTの方への偏見が亡くならないんだろうなと、少し申し訳ない気がする。
でも、私の性の不一致と、LGBTの方の性の不一致は、全く性質が異なる、と思う。たぶん、LGBTの方は、先天的で、私は後天的なものだと私は考えています。
もちろん、人間ってやつは絶対先天的要素と後天的要素で出来ているものだろう。だから、今後私は再び性の不一致を再燃させてガッツリレズになったり、FTMになる可能性だってゼロではないとは思う。
でも、私の場合は、機能不全家族の中で育ったことが最大要因である気がする。正直、自己分析のまだまだ渦中なので、明確には言えないのだけど、母が父の暴力やモラルハラスメントによって発狂しかけて時、「私がこの女を守らないと」「私が男だったら…!」「強くなりたい」と何度も思った記憶がある。両親の男尊女卑思想、目の前で繰り広げられる暴力、母から聞かされる父の浮気の実情、物心付く前から両親に埋め込まれた歪んだ男女観が私の性の成立に多分な影響を与えていたことは間違いないだろうと思う。
性自認というのは、とても繊細なものだと思う。(おそらく)私は完全に体と心の性が一致して生まれてきたにもかかわらず、置かれた環境によって、性がゆらぎ、通常の方が感じない葛藤を抱えてしまったわけです。そう考えると、もともと、LGBTというさまざまな性を抱えている人は、環境によって、もっと細分化されたり、引き裂かれたりしていることもあるんじゃないかなと思うのです。
それはきっと発達障害の方と似ていて、社会がその発達障害という特性を受け入れる度量がないために、生きづらさを持ち、その中で、二次被害的に、新たな問題を抱えてしまう、というのに似ているんじゃないかなと思います。
ただ、性ってよくわかんないですよね。趣味の範疇なのか、人間性のそのものなのか、たぶん葛藤を抱えてみないとわからないことのような気もします。性の不一致を微かにも味わったことがない人もいるようで、そういう人には全然わかってもらえません。
乳房を切り落としたい気持ちとか、ちんこがほしい気持ちとか、男の人に、男として扱ってもらえない屈辱感とか…。まあ、私はそこは(しぶしぶ)折り合いがついたので、私はただのミソジニー(女性嫌悪)が強烈なだけなんだと思いますけどね。
思春期の頃の複雑な思いが蘇ってきて、ちょっともやもやしてきました。
いやはや、人間ってやつは不思議な生き物ですね。