大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

情報は量よりも質

下記のブログを読み、一テレビ屋さんとしてちょっと書きたくなった。
いま改めて、テレビを見たいと思う理由。 | 隠居系男子

鳥井さんは、純粋な人で、頭が良くてストレートに物事を見るタイプの人なんだろうなと思っている。
皮肉れ者の私にはちょっと深みがなくてつまらないのでたまに読むくらいだが、この記事をきっかけに常々考えるテレビへの思いを吐き出そうと思う。

テレビは基本的には出版業界と構造は一緒だ。編集や取材時間が短ければ当然内容の濃さは変わってくる。書籍のようにじっくり年単位の時間をかけた特番、ドキュメンタリー番組から、週刊誌のような一日で撮って、作家のキレイなシナリオあり気の取材しかできていないウィークリーの情報、バラエティ番組。新聞のように、時々刻々と変化するニュースを報じたり、時間を埋めるためにしょうもないニュースを扱う報道番組。
眉唾な書籍があるように、眉唾な番組も少なくない。あと、やっぱり映像化は文字や写真だけで構成できるネットや出版物の後追いにならざる得なく、情報のスピードはやはりネットよりも遅い。
その点を考えると、別にテレビなんて本当に見る必要なんてないと思う、見ることなんてない。
日常的に見る必要がないとは思うが、たまに良質な取材をしているものも決して少なくない。
テレビを見ている見ていないかではなく、一次情報をどれだけ持っているかの違いなだけだ。

珍八景などはリサーチャーの力もあるだろうが、当事者からの投稿という強いツールを持っている。わざわざ、一次情報を持っている人が情報を提供しているのだ、面白くないわけがない。
また、一つのテーマを掘り下げて行けばその分野の人脈や情報量は当然増えて行く。ためしてガッテンや、タケシのみんなの家庭の医学など、スタッフの医学的情報源、人間関係は確かに計り知れない。

テレビ自体は面白いだろうが、非常に入念に編集をされており、そこから得た情報は一次情報として誰かに伝えるには、情報不足だ。そこは書籍と同じだ。テレビをヒントに自分で情報を深掘りして行く。それが、面白い人間への当たり前の鉄則。
別にテレビなんて見ても見なくてもいい。ネットもしかりだ。人というスーパーコンピューターから情報収集している人や、自分の経験から事例を導き出している人には決してかなわないのだから。
あくまでも出版物もネットもテレビも情報収集の補助輪に過ぎない。

当たり前のこと過ぎますけど、ようはどのメディアみるのがかっこいいとかじゃなくて、メディアが云々じゃなくて、各メディアが流す情報のどれがソースに近く、精度が高く情報の意味をちゃんと把握できるのかという、リテラシーをもっているのかが大切。
なんでもいいから情報を聞き流すことが素晴らしいというサイバーエージェント的な発想は捨てて、質の高い情報をより選ぶような発想でいた方が私自身はしっくりくる。
まぁ、どういう情報収集方法が合うかは本当に各個人のキャラクターによるとは思いますがね。