できる人の「できる」はどこまで本当なんだろうか?
【全人類必読】新潟で出会った本当に本当に本当にやばい人の話。 ー 本当は誰だって何だって出来るんだよ ー - いばや通信
この記事を読んで、強烈な劣等感を抱きました。
言いたくないけれども…
で、できるわけないやろ!!
ものを作るというのは本当に大変なことです。
なぜ動くのか?なぜ機能的なのか?ちゃんとわかっていないといけないわけです。
勉強の出来不出来ではなく、ちゃんと冷静に考え、その理屈を自分の体にちゃんと理解させて行かないといけないわけです。正直、ブログに云々かんぬん書くよりも難しいのです。
ただ、まあ、逆に言うと、そういうものづくりに器用な人は文章化するのが苦手だったりと、得て不得手があるものです。
文章化するのにも当然ロジックがあるわけです。順序を頭のなかで組み立てないと、人には伝わらないわけです。
たぶん、物事を習得していくには3つの要因があると思います
「得意不得意」と「慣れ」と「自信」
「得意不得意」とは、要は先天的要因。人には得意な分野と不得意な分野があると思います。
「慣れ」とは、すなわち学習。どんなに不得意な人でも、繰り返すことで、そこそこ能力の底上げは可能になる。
そして実は最も重要な要素が「自信」。これは、学習のスピードアップの鍵だと思う。自信がつくと、できるんじゃないかと、チャレンジするためのハードルが下がる。そして、やってみたいという気持ちにもなる。逆にこれが足りないとどんなに先天的に得意であっても、学習を繰り返そうとシャットアウトしてしまうこともある。
自信というのは、そもそも得意の人なら自然と身につくだろうし、逆に学習をサポートする人の能力によって先天的に不得意でも、身につくこともあると思う。
おそらく、このなんでも作っちゃうおじさんは、時間をかけてじっくりできる事を増やしていった。こういう作れてしまう人からすれば、小さなできることを増やしていっただけのことで、たぶん難しいことなんて何もないわけだ。
だから、誰にでもできると思っている。
でも、本当だろうか?
たしかに理屈で考えれば、難しいことではない。もっと言えば、どんなに能力がない人でもじっくり時間をかけて学習し、小さな自信を身につけていけば可能だといえるだろう。
でも、本当だろうか?
これは何にでも応用できる理屈だ。なぜこの人はものを作るということを選択したのか?逆に、マネーを作り出す学習をしなかったのか?今の時代、元手が50万もあれば億万長者になることもできる。海外の口座でFXをやればレバレッジを聞かせて大金を稼ぐことは不可能ではない。
そうやって富を築いた人は、何度も失敗し、何度も勉強をし、市場に授業料を払い、富を大きくしていったのだから。
人は、自分ができることをつい、だれでもできると思って語ってしまいがちだ。
そして、多くの人もそれを受け入れてしまう。もしくは頭ごなしにばっさり切り捨ててしまう。
私は「運が良かっただけだ」とか「この人が特別だから」という簡単な一言で一蹴するつもりはない。私は実は大真面目に誰だって特別になれる可能性はあると思っている人だ。ただ、誰かの真似したって無理だと思っている。人は皆違った能力を持っているから。ただ、手放しに受け入れるつもりはない。この人は自分の道を素直に生きてこられただけ、だと思っている。
この人は、この人の持つ得意不得意を無意識的に理解していて、自分ができることを繰り返し広げていっただけだ。
自分の得手不得手を無意識にでも知ることができ、その得意な分野を楽しく広げて強化していけることができれば自分オリジナルのハッピーな生活ができると思う。
…まあ、そもそも自分が何が得意かっていうのは、実は意識して気がつくのって超難しいと思う。
単純に全然苦じゃない、気がついたら朝になってたってことが自分の得意分野なんだろうけど。フールーの動画見てたら24時間立ってたってことくらいしかないんだけど。
それって生きていく上で、お金稼ぐ上でクソの役にもたたなくない!?
私みたいな凡人はどうしたらいいんでしょうかね〜…。