似て非なるもの?
ポスト工業化社会で、若者たちは、従来の会社勤めに限界を感じ、働き方の模索をしている人が多くいる。正直、第三次産業もけっこう収入源としては限界が出てきたし、第1次、第2次産業もなんだかんだマネタイズには限界が出てきている。逆に言えば、社会インフラが整い、いよいよ働かなくて生きていける社会が成立してきた、とも言えるが、金が循環しないことには資本主義社会では人は生きていけないわけで、インフラ整備以外の活路でどうにかマネーの流れを作ろうというのが、現代の労働者の課題というところではないだろうか?
そんな中、マネーの依存度を最小限にした生活スタイルを模索する動きが最近活発だ。
私の中で最も注目しているのがナリワイの伊藤さんだが、ダウンシフターというのも同じような発想のようだ。
※ナリワイ…農業などでお金を使わないでできる生活をしマネー依存度を落としつつ、収入は生活(衣食住)に根ざしたことから収入を得る工夫(自分や友人の家を修理のワークショップなど、従来の第一次、第二次産業をサービス化)して、お金の節約をしつつ、収入を得るというもの。
※ダウンシフター…収入は少なくてもいいから自分の好きなことをし、生活を重視する生き方
2つに共通するのは、1)忙しくて生活の中でアウトソーシングしていた(外食、家電、リフォームなど)ものを出来る限り自分でやり支出を抑え、家事を娯楽と捉えるという発想と、2)スモールビジネスで最低限の所得を得ようということだ。
1つ目は分かりやすい。ただの節約と言われていたことを、娯楽と捉えることで、娯楽費すら抑えられるという意味では新しいが、要は倹約生活だ。
2つ目は成長経済とは全く別、というか、それこそゼロ成長の考え方なのかもしれない。ビジネスを大きくさせないことで、利益は伸びないが、コストも最小限に出来るため、1家族分の生活はできるというものだ。
どちらも、ビジネスにオリジナリティを求めず、その人が出来る範囲のビジネスをやるという発想のものなので、どちらも真似しやすいが、ナリワイは小規模のビジネスをいくつも掛け持ちするという発想でもある。小規模のアントレプレナー的な側面もあるので、多少器用さと同士を集める器用さなどが必要な気はする。
他にも半農半Xという、半分農業をして半分他の商売をするという考え方もあるようだが、まだちゃんと本を読んでいないので、なんとも言えない。
2人の本を読み、ほぼ同じことを言っているのだが、個人的にナリワイ方がしっくり来る。やり方としては、ダウンシフターの方が手軽に映るのだが、どうも、なんか…流れがヒッピーっぽいのだ。
なるほどと思うところもあるんだけど、どこか信仰のような盲信を感じる。たんにナリワイの方が理屈っぽいだけかもしれないが…。
ぜひ機会があれば読み比べていただきたい。
私はナリワイにはすごく感化をされ、こんな生き方をしたいと思ったのだが、ダウンシフターにはうーん?と思うことが多い。なぜか自分でもわからない。内容を抽出するとようは言ってることはあんまり変わらないんだけど。
何かが違う、何かわからないけども。