大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

ツッコミどころが満載すぎてほっておけない歴史認識

連投でイスラム国周りのツッコミです。


「自己責任論」で中世に退行する日本(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース

今回、「危険を承知で」あえてイスラム国の近傍に渡航した二人に、全く何の落ち度もないのか、というと、特に湯川さんの方には、経験や知識という意味で問題がありそうだ。更に、渡航の動機も、「一旗揚げたい」「冒険したい」みたいな想いが、もしかするとあったのかもしれない。が、その「落ち度」と、「海外で生命の危険に晒されている同胞を国家が救助する」というのは、全く別の問題だ。

「動機が不純だから」とか「当人が危険性を予め承知していたから」などという理由で、「国外で危険に晒されている同胞を助ける必要はない」という結論に達するならば、これはもう「近代国家」の根底が崩壊することになる。

言わんとすることは分かる。たしかに、良くないよね、自己責任論。すごい違和感あります。ほんとうに。

「自分たちは働いて、まじめに納税しているのだから、”海外で無茶をする連中”を助ける必要など無い」

というのが、彼らの意見である。「納税者でないものは、人に非ず」とでも言いたげな、典型的な「強者」の理屈である。

国家に貢献しないものは、庇護する必要はない―。この考え方を突き詰めれば、例えば生活保護の受給者そのものを蔑視したり、社会的弱者を嘲笑する、という昨今のネット上の風習に行き着く。

ネット上で保守的な見解を表明するクラスタは、大都市部に住む中産階級が多い、というのは、私が実施した独自の調査によって明らかになりつつある。彼らは経済的にも社会的にも「強者」であるがゆえに、「自己責任論」を振りかざして憚りないが、自分がいつでも、不慮の事故や病気で「庇護される側」に回る可能性がある、という想像力を欠いている。

そういう税金を持ちだして批判する人がいるのかよくわからないし、大都市部の中産階級に本当に多いの?とも思うんだけど、自己責任論で、共助の精神を忘れて驕り高ぶっている風潮があるのは理解できます。人は人を頼って生きているのをわすれちゃいけない。

 

ただ…歴史がけっこう好きな一人として、中世を持ちださないでほしいなと思う。

論理が破綻しまくってる

1871年(明治4年)、琉球宮古島の船員69名を載せた輸送船が暴風雨で遭難し、台湾に漂着した。ところが漂着した台湾で、乗組員たちは台湾の原住民によってその内、54名が殺害されるという事件が起こった。激怒した明治政府は、西郷従道を総司令官として台湾に3,000名の討伐軍を送った。世に言う、「台湾出兵」である。

勿論、今回の誘拐事件は殺害を示唆する内容のもの(2015年1月24日現在、人質殺害の事実は公式に確定していない)で、明治4年の事件とは異なる。が、当時の明治国家が、宮古島の島民を「同胞」として見做し、これに対する危害は武力を以って報復する、という決意を示した出来事であった。

明治国家が台湾への野心を、偶然起こった遭難事件にかこつけて利用した事は明白である。私は「台湾出兵」を正当化するつもりは毛頭ないが、明治維新を経て「近代国家」としてその歩みを進める以上、国民国家=近代国家として、当時の日本政府が「同胞」をどう観ていたのか、その世界観の一端を示す事例に成るのではないか。

 

今風に言えば、「台風の危険性を予期できなかった宮古島の島民の自己責任」とでも言おうか。だが、明治時代にはそんな醜悪な「自己責任論」なんてものは存在しなかったのは、言うまでもない。

いや…これ、政略の色がものすごく強いもので、全然意味合いが違いますけども。

歴史上の日本と区別するため日本帝国とし、現政権を日本国としよう。

・犠牲者の数が大いに違う

・ただの虐殺(日本国は脅迫されている)

・台湾側の残虐行為が日本帝国側とのメリットと一致している

(現日本国にメリットはない)

・そもそも時代背景と、国家間の関係性が違いすぎる

当時の台湾史についてほとんど知識がないので、それ以上は触れられないが、極東内で起きた事案と中東、極東間でおきている事案を一緒くたにするのはいかがなものかと思う。というか諸々の事案が違いすぎて比較対象とさえなってない。

 

さらに、この人なにいってんだろ?と思うのはここだ。

「(シリアに渡航した)動機が不純だから、国家は彼らを助ける必要がない」という自己責任論がまかり通るのなら、それはもう鎖国という祖法を破って、海外に渡航する領民については、何をやっても幕府は捨て置く」という、江戸時代の日本の、中世の世界観と瓜二つである。

実際には、江戸幕府は、「祖法」を破って海外に渡航する日本人については、抜荷(密貿易)の事実がない限りはおおよそ黙認していたが、それと合わせて「出国」した日本人については、当地でどんな目にあおうが原則「黙殺」の態度を貫いていた。「国民国家」という意識の薄い、前近代の中世の国家にあっては、同胞意識は限りなく薄弱だった。「同じ日本人」という概念は限りなく薄いのが「国民国家」が形成される以前の、中世に於ける同胞意識だ。

私達21世紀を生きる人間は「日本史」として、主に日本列島で起きている事例を学ぶが、日本という国の概念ができたのは、幕末だ。天下統一と言われる天下とは世界そのもの。日本列島はいくつもの国が集まっているヨーロッパみたいなものだったわけだ。言葉も通じないし、自分の所属する藩、国を出るのに関所がある、それこそ今風にいえばパスポートなし所属する国を出ることはできなかった。出れば難民、亡命者だ。この時代、一つの国だという意識を持っている人の方がちょっとおかしい。同胞意識なんて希薄に決まってるっつーか、同胞と思っていない可能性のほうがはるかに高い。

そもそも、海外にでようなんてヤツは、罪人だ。脱藩するだけでも、国に追われる身になるのだから、人権という概念が存在しない時代、罪人の生存権など気にするわけ無いだろう。

江戸幕府と日本国を一緒にするな

といいたい。そもそも、今みたいに、飛行機でぴゅーっと東京から九州まで行ける時代じゃないんだから、人間の帰属意識は極めて狭いのは当たり前だ。東京23区の端っこから、江戸城城下町に出るのにだってきっとだいぶ大変だったはずだ。

おそらく、今の人よりも、中世の時代の人の方が、地域に対する仲間意識や帰属意識は確実に強かったはずだ。当時は、集落に所属していないと生きていくのは極めて難しい時代だから。

今の時代のように、会社に所属して給料さえもらえば、あとは人との付き合いを軽んじてもなんとなく生きていける社会ではない。

私は、日本人の「自己責任論」はこの「金さえ稼いでおけば人の手を借りなくても生きていける」という過信によるものではないかと思う。

論者の言いたいことはよくわかるし共感もできるのだが、ちょっと文章があまりにも論理的ではない。歴史にそんなに含蓄がない私ですら、ついついツッコミたくなるレベルのものなのだもの。私なんかより歴史についての含蓄もありそうなものなのだが…。なんでこんな感情的な文章を書いちゃうのかねー。

 

でも、こんな冷たいテロっても自国民を見捨てたがっちゃう国民性の国を脅迫するメリットがイスラム国に一体何があるんだろうね?

 

日本人論というぼんやりした概念でものを見ると本質を見誤るよねというエントリー 

日本人論はクソくだらない - 育て直し(自分を)

 

歴史関連書籍はこころをいやしてくれる…というお話

精神的に不安定な時は - 育て直し(自分を)

 

 日本人、という概念を言い出した奇特な男の話。

ちょっとエロいので、子供の頃ドキドキしながら読みました☆

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 またよみたいね〜