大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

色々悶々

悶々と思い悩むことがなんか最近多い。

鬱期かもしれない。
 

電車って一体なんだろう?

今は夏休み。子供達を連れて親御さんたちが集団になって電車に乗っていたりする。
高齢化が進む板橋区豊島区の話ではない。世田谷区界隈の話。
そのエリアを走る電車に乗ると、そこには営業の移動とおもしき暗い(眠そうとも言う)顔をした単独行動・仕事モードの乗客と、通勤の時間帯には少数派となるベビーカー、母と子供たち
 
ある子供たちは立ち膝で椅子に座り、大声で外の景色を実況中継。
ある親はいい子に座る子供たちをケータイで記念写真…
 
ああ、夏休みだからだろうか。少数派が多数派の図式が逆転している。
平日には横暴なサラリーマンたちに殺意を覚えるほど哀れな母子集団が、多数派になると、なぜこうも横暴に見えてくるものなのか?
 
「子供は騒ぐもの、仕方がない…」そう自分を言い聞かせても、そんな自制心をかき消すように耳をつんざく子供の声。そう、やっぱりどうがんばってこの密閉空間と距離感では小僧どもの声がクソうるせえのである。
電車の中では静かにする…そんな暗黙のルールが私を苦しめているのだろうか?
きっと間違っているのは私の方。社会はもっと多様なバックグラウンドを受け入れる土壌が必要なのだから。そう、イライラしながらふと目をあげると向かいに座っていたシニアはパソコンをいじっていた。さらに、私のとなりに座っていたマダムはマナーモードの仕方がわからなず、オロオロしながら着信音を放置し、それでも鳴り止まない電話にしぶしぶ出た。
 
静寂を破壊する者が一人であれば破壊者へのまなざしは厳しいものになるが、破壊者が複数で、皆規律を破っていると、そこは不思議と許せてしまうもの。
もやもやは収まらないが、まあ、なんか、どうでもよくなった部分はある。
 

死ぬことはそもそも悲惨なのでは?

本当に悲惨な独り身の最期 - はてな匿名ダイアリー

 

独り身が悲惨だと書いてあるが、悲惨なのは当事者よりも、それを目の当たりにしている医療従事者なのではないかなという気持ちにしかならなかった。

祖母は植物状態で死んだ。母が最後まで面倒を見た。(孫の付き添いで、母が祖母を施設に預けた時に祖母は亡くなる最後の最後までではないが)

胃瘻をして、排泄をして、床ずれを予防して、オーラルケアをして…本人は、何も語らず、ただ、天井を見つめていた。最後は何も見ていなかったかもしれない。

祖母は家で母が介護していた。幸せだったのだろうと思う。だけど…本当に幸せだったのだろうか?

父は52歳くらいで亡くなった。*1私はまだ学生だった。だけど、親父は癌発覚から半年もかからずぽっくり逝った。この記事で言えば、超ラッキーだ。だけど、多くの人はまだ若いのに…と死を悼んだ。

私は20代前半で、母方の祖父が死に、父が死に、10代の親戚が、父方の祖父が死んだ。だからこそ、私は「子供を作って自分を看取ってもらい、墓を守ってもらう」という話を熱く語った時期もあった。

だが、福祉系の編集者には「子供は親の介護をするために生まれてくるわけではない」という言葉や「墓の管理をさせるために子供を作るって自分勝手すぎない?」という夫の話を聞き、子供に全てを押し付けることが本当に倫理的正しいのかわからなくなった。考えてみれば、10代で死んだ親戚は一人っ子。恋人を作ることもなく逝ってしまった我が子を叔父夫婦は看送り、子亡き人生を今過ごしている。

 

どんな状態でも、死は悲惨だ。いくつで死んでも死は悲惨だ。だから看取ってくれる子供を…なんてのは、老後の不安に押しつぶされそうになって保険やら年金やらをかけまくるのと大した差なんてない。

やはり、医療費の無駄遣いのような延命治療こそが残念だが、痛みを深めているのかもしれないな…。

*1:私は人の年齢、誕生日、命日を正確に覚えていられない