色々悶々
悶々と思い悩むことがなんか最近多い。
電車って一体なんだろう?
死ぬことはそもそも悲惨なのでは?
独り身が悲惨だと書いてあるが、悲惨なのは当事者よりも、それを目の当たりにしている医療従事者なのではないかなという気持ちにしかならなかった。
祖母は植物状態で死んだ。母が最後まで面倒を見た。(孫の付き添いで、母が祖母を施設に預けた時に祖母は亡くなる最後の最後までではないが)
胃瘻をして、排泄をして、床ずれを予防して、オーラルケアをして…本人は、何も語らず、ただ、天井を見つめていた。最後は何も見ていなかったかもしれない。
祖母は家で母が介護していた。幸せだったのだろうと思う。だけど…本当に幸せだったのだろうか?
父は52歳くらいで亡くなった。*1私はまだ学生だった。だけど、親父は癌発覚から半年もかからずぽっくり逝った。この記事で言えば、超ラッキーだ。だけど、多くの人はまだ若いのに…と死を悼んだ。
私は20代前半で、母方の祖父が死に、父が死に、10代の親戚が、父方の祖父が死んだ。だからこそ、私は「子供を作って自分を看取ってもらい、墓を守ってもらう」という話を熱く語った時期もあった。
だが、福祉系の編集者には「子供は親の介護をするために生まれてくるわけではない」という言葉や「墓の管理をさせるために子供を作るって自分勝手すぎない?」という夫の話を聞き、子供に全てを押し付けることが本当に倫理的正しいのかわからなくなった。考えてみれば、10代で死んだ親戚は一人っ子。恋人を作ることもなく逝ってしまった我が子を叔父夫婦は看送り、子亡き人生を今過ごしている。
どんな状態でも、死は悲惨だ。いくつで死んでも死は悲惨だ。だから看取ってくれる子供を…なんてのは、老後の不安に押しつぶされそうになって保険やら年金やらをかけまくるのと大した差なんてない。
やはり、医療費の無駄遣いのような延命治療こそが残念だが、痛みを深めているのかもしれないな…。
*1:私は人の年齢、誕生日、命日を正確に覚えていられない