大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

もうすぐ高齢出産

最近、いや、最近に始まったことじゃないんだけど、

私ももう34歳か…早いもんだな―

としみじみ思う33歳。だいたい年齢を間違える。

 

1歳くらいしか間違えないから誤差の範囲だとは思う。だけど、もうすぐ高齢出産である。

妊娠は10ヶ月もするから、本当にもうすぐ高齢出産だ。

セックスの回数は増えず、排卵日か!?と思うタイミングでセックスしても、妊娠する気配すらない。

焦る気持ちがない、と言ったら大嘘なのだが、だからといって、ほしいのか?と問われると今のこの生活が嫌ってわけでもない。

子どもを欲しい気持ちと、このままでもいいやとも思う気持ち。ブランブランと揺れ動く。それは結婚したいか?という自問自答を繰り返した20代後半とよく似ている。

あの時は、まだ子どもをリアリティを持って諦めることはできなかったが、今は諦めることも覚悟しなくてはいけないと日々思う。

まだ33歳で何言ってる!といわれてしまうかもしれない。でも、タイムリミットは刻一刻と迫っているわけで。

 

最近結構本気で思うのは、私の子どもじゃなくていいから、子どもを育てたい、ということ。特別養子縁組、という、責任も全部自分で追ってフルコミットしたいということではなく、生活の一部に、子どもがいてほしい。

「○○ちゃんのために、今日も仕事がんばろう!」とか、「○○ちゃんと今日ねんねしよ〜」とかそんなん。孫とか姪っ子とか。近所の子でもいい。

 

人間には子育てが必要なのだと思う。チワワやトイプードルを赤ちゃんのように抱っこするおばあちゃんを見て、子どもがどれだけ大人の心を癒やしてくれているのかを感じる。

子どもを産まないと、子どもがいる社会で生きられない。だけど、もう少し、独身や、子無し夫婦にも子どもの負担が来るシステムがないかなーと思う。

 

子どもができない焦燥感と、虚しさは子どもと接する世界とのリーチを完全に立たれてしまうという恐怖からなのかもしれない。

(※特別養子縁組が嫌だということではなく、特別養子縁組も実はけっこう視野には入っているんだよね。ただ、あれは、正直相当覚悟がいるんじゃないかなと思う。少なからず、今の私は、出産という「できちゃったもんはしょうがないよね〜」的な言い訳ができる環境でもないと、子どもを育てるという重責に耐えられないんじゃないかなーと思う)